貴族たちの生活はさまざまなルールによって定められ、彼らがコミュニケーションツールとして活用していた和歌や手紙などもガチガチの形式ばったもの。季節ごと、シチュエーションごとにテーマがあらかじめ用意されており、どのように反応して振る舞うべきかもきめ細かく決まっていた。
奇想天外な発想より、様式美のほうが大切、洗練された手順や形式に宿る美しさにみんなが安心していた。こうした中、道綱母は兼家の悪口を平気で言い続けただけではなく、その文句を31文字ピッタリに収め、縁語もばっちりはめて、上流階級の常識にのっとってエレガントに詠んでいる。「あわれ。ひと寒しや」と言っているのに、「あいつ死ね、マジ嫌だ」に聞こえる。それは空耳だろうか。
例えばこのくだり。
兼家:夕ぐれのながれくるまを待つほどに涙おほゐの川とこそなれ
道綱母:思ふことおほゐの川の夕ぐれは心にもあらずなかれこそすれ
また、三日ばかりのあしたに、
兼家:しののめにおきける空は思ほえであやしく露と消えかへりつる
返し、
道綱母:定めなく消えかへりつる露よりもそらだのめするわれは何なり
真面目な文のやり取りがしばらく続いてから、どのような朝のことだったかしら、
兼家:あなたに会える夕暮れを待ち焦がれている俺は、大井川のように涙があふれ出ている。早く会いたいよ。
道綱母:わたしも、いろいろ考えてしまう夕暮れのとき、心ならずも泣けてまいります……。
また、3日間が経った朝に、
兼家:霜露の明け方、あなたから離れていく心は寂しさでいっぱいで、ふいに自分も露のように消え入りそうな心持ちだよ。
道綱母:あなたは儚くてすぐに消えてしまう露のようかもしれないが、そんな頼りない男をあてにしないといけないこのわたしこそ、どうしたらいいことやら……。
兼家はみっちゃんのところに3日連続通っているので、結婚が成立していることになる。そして、常識どおり、結ばれた翌朝、後朝の歌を送る。「露」のイメージは別れを惜しむ涙の比喩として用いられ、「多い」/「大井」、「暮れ」/「榑(くれ)」など、いくつかの掛詞もしれっと。彼の歌を踏んで、彼女は少しひねりを入れて返し、力を入れすぎず完璧にフォロー。みっちゃんの歌の腕前がかなり絶賛されていたが、噂にたがわず、うまい。
だが、しかし。
トキメキマックスな時期なのにネガティブ志向丸出し
ここでのこの2人は結婚したばかりである。彼女は冷静を装っているものの、お相手は有望な政治家であり、女慣れもしているはず。ランクはそれほど高くないみっちゃんにとって、彼のような優良物件に見初められるのは、すごいこと。トキメキマックスの時期なのに、開口一番は「あなたみたいな人を頼りにするのは、苦労するわね、あたし」と早速ネガティブ思考丸出し。とことんウザい。
ところで、「露」はポピュラーなモチーフであり、『蜻蛉日記』の中でこれを用いた歌は9首もある。いろいろな時期に詠まれているものの、どれをとっても、兼家の頼りなさや心変わりの激しさを物語っている。
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