夫への「愛憎」を書き続けた女子の凄まじい人生 「蜻蛉日記」のみっちゃんが今年もやってきた

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……とパッションにあふれつつも、「世のつね」をちゃんと踏んで、男の歌をきちんと踏襲することももちろん忘れていない。みっちゃんが31文字にウザさと不信感を込めるスペシャリストだとしたら、和泉ちゃんは同じ文字数に常識を越えるパッションを詰め込んでいる。

みっちゃんの負の予感は、ずっと続く。兼家がいかに信用に値しない男であるか、というサブリミナルメッセージをあらゆるところにひそかに仕込んでいる。例えばこの記事。

人はまだ見馴るといふべきほどにもあらず。見ゆるごとに、たださしぐめるにのみあり。いと心細く悲しきこと、ものに似ず。見る人も、いとあはれに、忘るまじきさまにのみ語らふめれど、「人の心はそれにしたがふべきかは」と思へば、ただひとへに悲しう心細きことをのみ思ふ。
【イザ流圧倒的意訳】
まだ彼とはどうなることやらとわからないまま、会うたびにただ涙が湧いてきます。心細くて、寂しくて、その不安の気持ちは例えようがない。その様子を見て、彼もさすがにしみじみとしてきて、あなたのことを忘れないよ、としきりに言ってくるけど、「まさかそんなことを本気で思っているわけないわ」と思うと、ただ寂しくって……。

兼家はちゃんと訪問もしているし、悪事も(まだ)働いていない。それでも、やはり信用できないと1点張り。父親が地方に派遣され、寂しいお別れが訪れるときも、責任を持って僕が面倒を見ます、と兼家は男らしく申し出るが、「人の心もいと頼もしげには見えずなむありける(そんなこと信じるかよ)」とさらにチクチクと。

彼女が幸せを感じる瞬間はあったのだろうか

悲劇の預言者として知られているギリシア神話のヒロイン、カッサンドラと同じように悪い展開ばかりを予感し続けるみっちゃんも自ら不幸を呼んでいる。先見の明がありすぎたのか、甘い恋に飛び込めない小心者だったのか、不確かなものを信じようとしなかった彼女は、幸せを感じる瞬間はあったのだろうか。彼女がもう一度生まれることができたら、同じように相手を呪い、相手を憎しみ、それでもなお愛し続けるのではないだろうか。

「人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。」と坂口安吾は書いている。嗚呼、いけない……甘い言葉にだまされてはいけない、やはりいつだって恋はキケン……。

イザベラ・ディオニシオ 翻訳家

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Isabella Dionisio

イタリア出身。大学時代より日本文学に親しみ、2005年に来日。お茶の水女子大学大学院修士課程(比較社会文化学日本語日本文学コース)を修了後、イタリア語・英語翻訳者および翻訳コーディネーターとして活躍中。趣味はごろごろしながら本を読むこと、サルサを踊ること。近著に『悩んでもがいて、作家になった彼女たち』。

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