第5回 特定非営利活動法人サービスグラント 代表理事・嵯峨生馬 志の醸成

サービスグラントとの運命の出会い、そして立ち上げへ

2002年にアースデイマネー・アソシエーションをNPO法人化、翌年には代表理事に就任し、日本総研と二足の草鞋を履いていた嵯峨は、2004年、NPOの事例調査でアメリカを訪問していた。きっかけは、その時にたまたま、訪問していたNPOの担当者がヒアリングの最後に何気に発した一言だった。
 「そういえば、来週からホームページが新しくなるからチェックしておいてね」と。「へえ、リニューアルするんですね」と返答した嵯峨に「そう、タップルートファウンデーションっていうところが作ってくれたのよ」と、耳慣れない団体の名称を言った。
 帰国後、調査資料をまとめながら、メモに残していたこの団体の名称を検索してみると、そのホームページには、彼らが手掛けるサービスグラントの仕組みが、「ホワイトカラー・ボランティア」という表現を使い、紹介されていた。嵯峨に衝撃が走った。「こんなサービスがアメリカにはあるんだ!喉から手が出るほど、これが欲しい!」と。
 ちょうどその頃、アースデイマネーのプロジェクト開始から2年が経ち、立ち上がり当初は熱気に包まれていたこの活動も、事務局運営を担うボランティアの数も減り、様々な運営面での課題が身にしみていたところだったのだ。

日本に戻り、タップルートのことを調べれば調べるほど、もっとこの団体や仕組みについて知りたいという思いが抑えきれなくなり、嵯峨はメールでアプローチ、何とか代表のアーロン・ハースト氏とのアポイントをとりつけて、サンフランシスコに向かった。
 代表のハースト氏は自分と同じ1974年生まれ。1時間程度、様々な話を聞かせてもらった後、実際のプロジェクトのキックオフミ―ティングに同席させてもらい、その効率的な会議運営に驚いたという。
 ミーティングにはマーケティング会社から来た女性がリーダー役を務め、広告会社や通信会社の社員、WEBデザイナーなど6名が参加し、自己紹介からテーマに関するフリーディスカッション、次回までの各自のタスクなど予定時間の2時間ぴったりでミーティングが終了した。
 「アメリカでもNPOと企業人は近くにいるけど、まだ十分交流できているわけではない、日本はまだまだNPOはマイナーな存在だけど、この仕組みができると、NPOにとっても企業人にとっても、とても価値があるものになるかもしれない。サービスグラントを日本でもやってみたい」という思いが嵯峨に生まれた。

2005年1月、ハースト氏の「最初は小さく産んで育てればいい」という言葉に後押しされ、嵯峨はプロボノによるNPO支援プログラム「サービスグラント」を開始した。3つのプロジェクトのうち1つは失敗し、試行錯誤の連続だったという。
 そしてまた嵯峨は、ちょうどその頃、本業で、ある悩みを抱えていた。引き続き日本総研でコンサルタントとして働いていたが、クライアントは官公庁がほとんどで、多くの調査や作業を積み重ね、報告書をまとめあげても、最終的にそれらをどのように使うかを決めるのはクライアントである、ということに行き詰まりを感じていたのだ。
 徐々に自分のしている仕事があまり意味をなさないもののような気がしてきて、体調もあまりよくなくなっていった。そしてついに、2006年3月 、会社を辞めて、サービスグラントに注力することを決意した。

▼村尾の視点
何かと出会い、心がざわつくようなことがあれば、その理由についてよく考え、まずは情報収集などを行い、新たな選択肢について熟考することが大切。そして結果として何かを達成していく人は、ある程度考え切ったら、「まずは行動」というアクションを起こせる人が多いのも事実。

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