モチベーションをできない言い訳にする人の愚 令和では、もはや「死語」にもなりつつある

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 私は15年以上にわたり合計1万人以上の経営者や管理者たちに、「モチベーション」の定義について語ってきた。自著にも繰り返し「モチベーションとは当たり前のことを、当たり前にやり、それ以上の行動するために必要な心の動き、意欲、動機づけ」であるということを記してきた。

この言葉の定義に異論を唱える人など当然いなかった。その人にとって仕事上、「朝9時に出勤する」「お客様と約束した時間に訪問する」などといった事柄が、もし「当たり前」になっているのであれば、モチベーションは関係ない。毎日歯を磨くように、何の葛藤もなくやることだろう。このように、毎日の生活や仕事の中で「当たり前」だと認識していることは、モチベーションに左右されないのだ。

若者にとって「モチベーション」は死語

前出の若手2人とこんな話もした。「モチベーションが上がらないから、なかなか行動に移せないという言い訳には慣れているのだけど」。こう私が言うと、「自分で約束したのに、なかなか行動できないことってありますよ。でもモチベーションという言葉は使わないかな」との答えが返ってきた。

自分で決めたことなのに、上司と約束したことなのに、なかなかその通りにできないことは誰だってある。ただ今時「モチベーション」という表現を使ってその言い訳はしない。若者にとって「モチベーション」は、「写メ」とか「ハナキン」と同じようなビジネス死語になりつつあるということなのだろう。

繰り返すが当たり前のことであっても、なかなか行動できないときはある。ただし「モチベーション」の意味を正しくとらえられないと、感謝の気持ちがなくなっていく。「当たり前」の反意語は「ありがたい」である。モチベーションばかりを口にしている人は、謙虚さがなくなっていく。「他責」の癖が抜けないのだ。

平成は確かに「モチベーション」が経営における重要課題だった。いまだに、「社員のモチベーションをどう上げていくか」を、経営課題に上げる企業もある。だが、そういう言葉を口にする人は、古い世代の人たちで、もう感度が鈍っていると言っていい。

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