他人を「バカ」と呼ぶ人に伝えたい"超・正論" ネットの匿名性に頼る「自分に甘い」人たち

✎ 1〜 ✎ 55 ✎ 56 ✎ 57 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
ネットのマナー、ちゃんと守れていますか? (写真:nonpii/PIXTA、写真はイメージ)

ネットのマナーで気になることがあります。それは、自分と意見が違う相手を「バカ」と呼ぶ人が多くいるということです。

もしあなたにも心当たりがあるなら、すぐやめてほしいです。なぜなら、相手はバカなのではなく、あなたと考え方が違うだけだからです。

人はみんな価値観も違いますし、物事を見るときの視点も違います。育った環境、見てきた景色、経てきた体験などのすべてが違います。もし同じ人生経験をしてきたなら、あなたもその人と似たような考え方になる可能性もあったのです。

しかも、自分と違う相手からは学べることも多いはずです。相手は自分にないものを持っているからです。自分には見えないものが見え、自分が知らないことを知っています。そこから謙虚に学びたいものです。それによって自分の考えが変わることもあるでしょう。逆に、自分の考えのバズが修正されてより強固になることもあるでしょう。いずれにしても、自分の成長に役立ちます。

相手を「バカ」と呼んだ瞬間、話し合いは不可能に

この連載の記事一覧はこちら

これは哲学の言葉で言えば弁証法です。自分はAという考えを持っていて、相手はBという考えを持っています。話し合うことでAとBを統合してよりよいCという結論に達します。これを止揚(アウフヘーベン)と言います。ですから、AとBという違う意見は対立するものではなく補い合うものです。この弁証法こそ民主主義の根幹です。

弁証法は、国防安保や原発問題などの国論を二分するテーマでも、子どもの進学先をどうするとか夕飯を何にするかなどのプライベートなテーマでも、人間同士が話し合うときの基本中の基本です。どんなテーマでも、一方的にどちらかが完全に間違っているということはありえません。相手にも必ず理(ことわり)があり、それは自分にない部分を補ってくれているのです。でも、相手を「バカ」と呼んだ瞬間に話し合いが不可能になります。

次ページ不幸はこうやって連鎖する
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事