大塚明夫「声優の大多数が仕事にあぶれる理由」 300の椅子を1万人以上が奪い合っている
ははあ、「もらえる仕事はろくにない」ということは、大塚明夫は「仕事は自分で作れ、甘えるな」と続ける気だな……。そんな想像をされたあなたに言っておきましょう。
声優は、自分で仕事を作れません。
これも、声優という生き方の特殊な点の1つです。私たちの仕事は「声をあてる」こと。その仕事をこなすためにはあてる対象となる映像なり画が、そして読み上げる文章の書かれた台本が必要です。そして、それらを用意するのは私たちではありません。制作会社、脚本家、アニメーターなどのクリエーターたちです。
私たちは、彼らが作り上げた世界に肉声という最後の素材を提供する職人です。自分で脚本を書いて芝居をしたり、店をやったりする声優もいますが、それは厳密には「声優としての仕事」とは異なります。何が言いたいかわかりますか?
私たちは、ただじっと仕事を「待つ」ことしかできない立場だ、ということです。先ほど私は、声優は少ない仕事を奪い合わなければならないものだ、と書きました。しかしこの奪い合いにおいてすら、われわれがすることは「待ち」なのです。店の棚に陳列された商品のように、とにかく誰かに選んでもらわねば始まりません。
これは多くの声優志望者が見過ごしがちな点ですが、実は恐ろしいことです。誰かが何かを作ってくれなければ――「この作品のこの部分でこれを喋ってください」と頼まれなければ、私たちの仕事は存在しないのですから。
もちろん、仕事を待っている間に己を高めることはできますし、そうするべきです。待つといっても、ただ寝転がっていろという意味ではないのです。そんな人間に、マネージャーが仕事を持ってきてくれるわけがない。技術を磨き、知見を深め、少しでも多くの武器を懐に持たねばなりません。そうした努力が、プロデューサーなりディレクターなり、誰かにふと目を留めてもらったときに活きる可能性があるからです。
努力が必ず報われる世界ではない
ただこうした努力すら、「仕事につながる可能性がある」だけで、「必ずつながる」と言えないのがまた厳しいところです。どれだけ多くの刀を丁寧に研いでいようと、その刀を振るう機会があるとは誰にも保証できません。要するに“運”次第なのです。身も蓋もありませんが本当です。
そして、保証されていないからといって何もしないでいれば、いざ刀を振るう機会に遭遇したときナマクラ刀で苦戦を強いられることになる。待つことしかできない。ひたすら待ち続けても無駄かもしれない。やれることといえば密かに刀を研ぐことのみ。
しかしその後何かが起きたとしても、それまでの「待ち」のつらさや鍛錬の苦労がすべてねぎらわれるようなものだとは限らない……。
これが、人によっては死ぬまで続くのが声優という生き方です。自分で仕事を作れないというのは、かくも寄る辺なき状況なのです。
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