井上尚弥が「他人との比較」をムダだと思う理由 「リング上のパフォーマンスがすべて」
ロンドン五輪を目指すアジア予選がカザフスタンで行われたとき、父は、大嫌いな飛行機に乗って現地まで僕をサポートに来てくれた。だが、このとき会社で金銭トラブルが発生していた。トレーナーに専念するため、会社の運営を任せていた“番頭さん”が、塗装の材料などを勝手に売り飛ばし、あずかり知らない請求書が山のように舞い込んだというのだ。
国際電話で日本と頻繁にやりとりをしていたそうだが、僕はいっさい、そのことに気がつかなかった。勝負の試合を控えた僕にわからないようにしていたのである。僕は、ずいぶんと後になってから、そのことを知ることになった。
親心を知って泣けてきた。もし自分が同じ立場になったとき同じ行動ができるのだろうか。自問してもイエスという答えは出てこない。父は、「自分がやっている仕事の責任はすべて自分が負う。家族は関係ない。自分で好きなことをやって家族を心配させることは間違っている」と言う。
「仕事の責任はすべて自分」
父がトレーナーと仕事の両立が難しくなり「明成塗装」を閉めるという話が出たことがあって、僕も拓真も猛反対した。父が、苦労して20歳で独立し起こした会社を、自分たちのボクシングのために閉めることがひっかかった。
それなりの覚悟があっての決断だったと思うが、黙って見過ごすことができなかった。
「仕事の責任はすべて自分」という父にすれば、僕たちの反対は、きっと聞き入れられないものだったのかもしれない。けれど「わかった」と納得してくれた。父は、今でもトレーナーとの兼業で会社を存続させている。
父が貫いている男としての自己完結の責任論。僕も父の考え方に感化されている。ゆえに「人をうらやむ」ことはしないし「ボクサー井上尚弥」の責任を他人に押し付けることもしない。僕が、プロデビューしたときからベルトラインに「明成塗装」と、一般の方々からすれば、見慣れぬ名前を入れている理由は、僕にすばらしい人生の道を示してくれた両親へのささやかな感謝の気持ちなのである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら