井上尚弥が「他人との比較」をムダだと思う理由 「リング上のパフォーマンスがすべて」

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繰り返すが、僕のポリシーは、「リング上のパフォーマンスがすべて」。そこに付随する物語の必要性はプロとして感じない。人生の苦労などないほうがいいに決まっている。

井上尚弥のストーリーは、その足跡の後ろにできればいいのである。

しかし、ハングリーを知らないボクサーの話を綴るとき、改めて両親への感謝の気持ちがあふれてくる。

「マイナスからのスタート」だった父

父は、人一倍苦労をした。小学生の頃、ギャンブルが原因で両親が離婚。祖母の家に身を寄せ、トラック運転手をして家計を支えた母1人に育てられた父は、高校にいかなかった。勉強嫌いだったというが、少しでも母に負担をかけまいと、すぐに塗装業の親方に弟子入りして働き始めた。父は、「オレの人生はゼロではなくマイナスからスタートだよ」と、笑い飛ばすが、こうも言った。

「母子家庭だったけど、つらいと思ったことは1度もない。人の家を見て、父がいていいな、なんてうらやむことが好きじゃなかった。お小遣いが欲しければ、買いたいものがあれば自分で働けばいい。そう思って中学からバイトしたんだ」

途中やんちゃをして道を外れかけたこともあったらしい。だが、母と結婚。人の倍働いて仕事を覚え、20歳で独立。「明るく成りあがる」の思いを社名にこめて「明成塗装」を立ち上げた。当時は、バブルが弾けた経済状況で、母の両親からは反対されたが、信念を貫き、コツコツとした努力と誠実さで、顧客や関係会社の信頼を勝ち取り、会社を成功させた。

4畳半と6畳。父曰(いわ)く、「雨戸を閉めても風が吹くとカーテンがヒューヒュー鳴いた」という借家暮らしで新婚生活が始まり、僕も弟の拓真も生まれた。そこでお金を貯め、マンションに移り、29歳のときに一軒家を建てた。母や僕たちに苦労はさせまいという男の責任感。僕たちには人生をマイナスからスタートさせたくなかったのだ。

子どもの頃は、父の苦労を一切、感じなかった。おそらく父は、僕たちに心配させないように気を使っていたのだろう。

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