年650高座に上がる落語家「桃月庵白酒」の生き方 確実に安打をたたき出す実力派落語家の哲学

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「単純にうちの師匠が好きだったんですね。何でしょうかね、うちの師匠だったらなんでもオッケーでした。師匠にこんなこと言ったら失礼ですけど、“ほど”がよかったというんですかね。くすぐりの押し方とか、声の調子とか。僕はちょっと声フェチなんですけれども、濁声でもダメなんですけれども、きれいな声でもいやで。ましてやアナウンサーのような発声とかは、聞く分にはいいですけど。うちの師匠の発声から何かちょうどピタっとくるような好みで」

相当なほれ込みようである。白酒自身も明朗ないい声の持ち主だ。

「一番時間がかかったのは、師匠の家のチャイム押すまでですよね。すぐに師匠の家は見つけたんですけど。もし本当にこれでチャイム押して噺家になっちゃったらどうしようっていう不安があったので。ひと月ぐらい、師匠の家のあたりをぐるぐる回っていましたね。

結局、自宅では留守で会ってもらえなくて、言伝だけをして。今度は寄席に行って出待ちしたんです。で、師匠に“昨日伺った者なんですけど”って言ったら、“ああ、君か”って“〇〇日に来なさい”と言われて行ったら、じゃとりあえず通うかっていう感じで、すんなり入門がかなった感じですね」

雲助の初めての弟子だった。

「うちの師匠はどちらかというと、懐にあまり入ってほしくないんでしょうね。中にはもう親子以上に密な一門もありますけど、うちは稽古をつけてもらって、師匠の家の用事なんかも一通りはしましたけど、師匠は“本当は映画とか芝居どんどん観たほうがいいんだけどな”と言っていました」

師匠雲助は「必ず節目で名前変えろ」が持論だった。前座名は五街道はたご、二つ目で五街道喜助。2005年9月に真打に昇進し、桃月庵白酒を名乗る。落語史を紐解くと当代で三代目だが、前二代は明治以前の落語家で107年ぶりの襲名。だから代数を名乗ることはあまりない。

白酒のマクラ(噺の導入部)は、淡彩で、上品

同じ鹿児島県出身で言えば、この度四代目を襲名した三遊亭圓歌は、風貌も芸風も九州男児の素朴さ、実直さそのもの。「落語という話芸の広がり」を感じさせるが、白酒の場合は、その男っぽい身の振り方を別にすれば「薩摩っぽ」を感じることはほとんどない。

弟子入りした経緯についても語った(編集部撮影)

白酒のマクラ(噺の導入部)は、淡彩で、上品だ。例えば、エレベーターで乗り合わせた外国人が日本人の連れに「今日は落語の会があるんだ」と聞かされて、お付き合いでさも興味がなさそうに「Oh Interest!」と言ったことが残念だ、とか、食べ物屋でごちそうになったときのお愛想が難しいとか、日常の身辺雑記を題材に、軽やかな笑いを客席に起こす。

本題の噺の邪魔にならないように、客席をうまく上機嫌にさせるのだ。このあたり、筆者は大師匠馬生の実弟である三代目古今亭志ん朝を思い出さずにはおれない。志ん朝はマクラの段階で、客席をいい気分にさせる名人だった。

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