「安心して聞いていられる」というのは、落語家にとって褒め言葉なのか、そうでないのかはよくわからない。
人によっては「何が飛び出すかわからない、どきどきするような高座」のほうがいいかもしれないが、桃月庵白酒(とうげつあん・はくしゅ)は、間違いなく「安心して聞いていられる」落語家だ。どんな噺でも、どんな高座でもまず「外れ」がない。満足度が高い。アマゾンのユーザーレビューなら5つ星がつきそうな落語家だ。
エリートコースから落語家に
桃月庵白酒は、1968年12月26日、鹿児島県大隅町に生まれた。名門県立鶴丸高校から早稲田大学社会科学部に進む。
ここまでの経歴を見れば、一部上場企業に入社して今頃、取締役会に出ていてもおかしくないのだが、ここで落語研究会に出会ってしまうのだ。
「大学に入ると部活の説明会とか、いろいろあるじゃないですか。いろいろ見て回って、声かけられた中の1つが落研ですね。鹿児島にいたころから落語という芸能があることくらいは知っていましたが、もちろん、生で聞いたことはなかった。東京で初めて接して、はまってしまったんですね」
エリートコースから一転、芸人の世界へ。
「いや、好きではあったんですけれども、そんな大それた覚悟ではなかったんですよ。一番大きいのはバブルの終わりごろで、まず就職で困ることは絶対ない。落語家という商売は、ちょっと楽しそうじゃないですか。だから一度なってみて、ダメだったら辞めて就職しても全然オッケーだというぐらいに思っていたんですよね。
もともと、何になりたいというものがなかったんです。大学3年くらいになったら同級生はスーツ着て動き回ってましたけど、何やりたいかもずっとわからなかったので、落語家になろうかな、と」
入門したのは五街道雲助という師匠。物騒な芸名だが、十代目金原亭馬生門下、つまり今「いだてん」に登場している五代目古今亭志ん生の孫弟子にあたる。
筆者は十代目馬生を追いかけていた時期があるが、雲助という落語家は、師匠の馬生同様「通好み」の落語家だといえるだろう。高座はいたって地味で、大きな声を出すことはないが、じわじわと滑稽味がにじみ出てくるような芸風。また、そのたたずまいは「江戸時代の人がそのまま姿を現したような」、独特の味わいがある。熱心なファンがいる落語家だ。
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