だから間違いないということがわかった。一方で、読んでいてもわからないところも出てきました。ただ、わからないからこそ、逆に信頼できる、とも言えます。
――「わからないから信頼できる」と。そこのお話をもう少し聞かせてもらってもよろしいでしょうか。
わからないというのはつまり、当時の人はわかっていたことが、現代のわれわれにはちょっとまだわからない、ということなのです。そういう史料のほうが逆に信用性があるんですね。誰もが知っていることだけがうまく書いてある史料というのは、だいたい怪しいものなんです。
そうした確信を持って研究を始めると、やたらと往復の移動でお金を使っているし、望まない出費が結構あるんだなと思いました。わざわざ行くことはなかっただろうところに行ったり、江戸に屋敷を買ったのに、ほとんど使ってなかったりとか。そこら辺は中村監督がうまく映画でも使っていましたね。
――「預置候金銀請払帳」は、なぜ箱根神社に奉納されたのでしょうか。
大石の書状とかそういうものと合わせて何点か、明治になってから奉納されたようです。おそらく赤穂事件のファンが、自分が持っていたものを神社に奉納しようと思ったんでしょう。
あれだけの事件ですので、赤穂浪士たちの手紙などを欲しがる人が多いわけです。そしてコレクターが存在し、大切に保管している。そのために、まとまって残っていないんですよね。
江戸時代の移動はものすごくお金がかかった
――「忠臣蔵」に関する史料はたくさん残っているとのことですが。
もちろんほかの時代でも、いろいろと史料は残っています。ここまで数多く残っているのは珍しい。事件に感動した人たちが自分で物語を書いてみたり、史料を集めたりもしている。だから実は読み切れないぐらいの史料が残っているのです。
江戸時代に「忠臣蔵」に魅せられた人が、この人はこういう人だったというような、どこに根拠があるのかわからないような銘銘伝まで作っていたりもしたわけですからね。
――原作にも映画にもありましたが、江戸から京都に移動だけですごくお金がかかるんですね。
よく時代劇で、平気で藩と藩を行き来するシーンが出てきますが、かなりのお金がないとああいうことはできません。すべてのことにはお金がかかりますから。しかもそれが47人分となると、さらにお金がかかるわけです。
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