75歳の落語家・古今亭寿輔が紡ぐ「寄席」の躍動 一期一会のライブ感を展開する野心満々の男

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古今亭寿輔は1944年5月5日、山梨県甲府市に生まれる。

インタビューに応じた古今亭寿輔(編集部撮影)

「小学校4年生の頃、ラジオで落語を聞いて、“こんなに面白いものがあるのかな”と思って、小学校で林間教室があって、そこで落語をやったんですね。そしたら先生が“お前、そんな話どこで覚えたんだ?” “NHKのラジオを聞いて1回で覚えましたよ”って」

高校を出たらすぐにでも落語家にと思ったが、家族の反対で4年間、一般の会社で働いた後に、23歳で三代目三遊亭圓右に入門した。

「僕は新作が好きで、あちこち聞いていて、(五代目古今亭)今輔師匠がいいなって思ったんですが、おっかなそうだったんで、(実際はそうじゃなかったんですが)お弟子さんの(三代目三遊亭)圓右師匠に入門したんです」

このあたり、少し説明が必要だろう。

五代目古今亭今輔は、名人と言われた初代三遊亭圓右の弟子であり、古典落語も手がけたが、戦後、「お婆さんシリーズ」の新作落語で人気になった。

今輔は「これからの落語は現代も描くべきだ」と考え、惣領弟子の桂米丸を「古典をやらない新作一本」の落語家に育てた。

米丸の兄弟弟子の三代目三遊亭圓右はスキンヘッドで、高座に上がるなり「日本のユル・ブリンナー」「月からの使者」などのつかみで笑いを取った。愛嬌のある明るい芸風だった。

またエメロンのCMでも人気を博し、新作派として寄席の人気者になった。

寿輔は新作派の人気が急上昇している時期に、その本家筋に入門したのだ。

受けなければ「お蔵入り」になる新作

「圓右師匠は、弟子使いは荒くはなかった。間違っても顎で弟子を使うなんてことはありませんでした。明るい芸風ですね。圓右師匠の師匠の今輔師匠も、高座ではおっかなかったけど、いい師匠でした。もう50年も前ですが、圓右師匠、今輔師匠に教わったことは今も忘れていません。大事にしています」

新作落語が難しいのは「受けなければお蔵入りになる」ということだ。そういう点は古典落語より厳しい。しかも新作は自分で作らなければならない。

落語家になってからの経緯も語った(編集部撮影)

「新作派の一門に入ったわけですし、自分を表現するには自作がいちばん早いだろうということで、新作落語をやりました。4、5回やったらやめたっていうのも入れたら結構つくりました。ほとんど駄作だったんですけど」

掛け捨て、掛け捨ての中から作品が残っていく。

しかししばらく経ってから、古典落語も手がけるようになった。

「入門して6年ほど経って一人会をやるようになったんです。お客さんはなかなか来ないけれども、1人で三席やっていたんで。新作を三席やるというのは、若手の実力のない者にはものすごくつらいんですね。そこに一席古い話を挟むと、まあなんとか1時間30~40分もつんじゃないかということで古典も覚えるようにしたんです」

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