「おまけ付きお菓子」の意外にも長く奥深い歴史

蘊蓄100章で綴る菓子メーカーの工夫と奮闘

21. シガレットカードには女優や野球選手、ボクサー、国旗、野生動物などが美しいイラストで描かれていた

22. シガレットカードはアメリカのみならずイギリスでも発展し、最終的には世界各国で見られるようになった

23. 明治維新を迎えた日本も同様で、日本初の両切り煙草を製造し〈煙草王〉と呼ばれた村井吉兵衛がこれに着目

24. アメリカでアメリカン・タバコ・カンパニーを創業したジェームズ・デュークの支援を得て独自カードを制作した

25. デュークから版を買い取り自ら印刷工場を建てると、西洋女性や風景画、花など多彩なカードを生んでいく

26. 村井はそれを1891年に発売した「サンライス」と1894年発売の「ヒーロー」という自社煙草に封入した

27. このカード封入によって村井の煙草は爆発的に売れるが、カードを目的とした子どもの喫煙が増加

28. それが社会問題となり、1900年4月には満20歳未満の喫煙を禁止する「未成年者喫煙禁止法」が施行される

「おまけ付きグリコ」が生まれたワケ

29. 1919年に栄養菓子「グリコ」を生み出した江崎利一は、1922年から三越百貨店でその販売をスタートさせる

おまけ付きグリコ。写真は2005年に販売された「タイムスリップグリコ」で、1970年に開催された大阪万博のフィギュアのおまけが入っていた(写真:時事)

30. しかし栄養菓子市場はすでに大手だった森永製菓、明治製菓に占められており、江崎の市場参入は困難だった

31. そこで江崎は販売促進のため村井の煙草カードをヒントに「カード」や「乳菓」を商品のおまけとして添付

32. 1927年には「おまけ付きグリコ」としてメンコや大阪造幣局制作の銅製メダルを付けるようになる

33. 人気は上昇するが当時は商品とおまけが同一袋に入っていたため、子どもたちが手探りすることも多かった

34. 小売店からの苦情が相次ぎ、江崎は商品とおまけを別パッケージにした通称「おまけサック」を開発する

35. このおまけサックの導入によってグリコの生産量は2~3倍増となり大きな発展を遂げることになる

36. 1934年にはグリコ株式会社となり、セルロイドやアンチモニー、木、土製のおまけ玩具も作られた

37. 太平洋戦争中はおまけの材質も制限され、1942年にはおまけが消え商品そのものも配給制になった

38. この当時のものは白色パッケージで「配給グリコ」と呼ばれ、翌1943年には物資不足により生産をも停止する

39. 1945年に終戦を迎えるとライバルである森永、明治が配給統制の制限を受ける中、グリコは真っ先に再開

40. 調達できる範囲で材料を集め〈おまけ付きグリコ〉を菓子ではなく「食品付き玩具」として販売した

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