大阪で鍛えた「車いすの社長」の堅実なビジネス 障害者から見るユニバーサルデザインの真髄

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真山:障害のある人を前にすると、言ってはいけないことがあるような気がしたり、どこを見て話したらいいのかと考えてしまい、コミュニケーションが上滑りしているような気持ちになることがあります。どのような意識でコミュニケーションすればいいでしょうか。

垣内:例えば、いま、みなさまが座られているいすなんて、特にそうなんです。私は今、車いすでこのままテーブルについていますが、今日は事前の打ち合わせで、「私はいすはいらない」と言っています。例えば、飲食店の場合、だいたいいすをぱっとよけて、「こちらへどうぞ」と、言われますが、車いすに乗っていてもいすに移りたいという人は結構多くいらっしゃいます。

本来は、「車いすに乗ったまま食事をとられますか?それともいすに移って食事をとられますか?」と聞いてもらいたいのですが、なんとなく、「障害者はこうだろう、車いすユーザーはこうだろう」というような固定観念があり、よかれと思っている行動が、上滑りしていることがよくあります。結局のところ、本人に聞かなければいけないということなんですよね。

渡邊:忖度しがちですよね。「このほうがいいんじゃないか」って先回りして。

垣内:先回りはありますね。

真山:頼んでもないのに何でも先回りしてしまう人には、「それはやりすぎじゃないのかな」と思うこともあります。でも、それがありがたい事もあるので、その辺の塩梅は難しいのですが、ここまでは積極的に関わってほしいけれど、ここからはやらなくてもいいというような線引きはありますか?

垣内:かなり難しいですけど、基本的に二極化していると思います。障害者や高齢者に対して、多くの人や企業の対応は、「見て見ぬふり、声すらかけないゼロの人」か「そこまでしなくてもいいですよ」と言いたくなるくらい過剰な人のどちらか。過剰の最たるところは、「〇〇しなければいけない」「〇〇してあげなければならない」という義務感や固定観念で動いています。でも本当にそうなのかは、人それぞれ違いますから。障害者である以前に、1人の人でしかないという前提のもとで向き合うことが、まずは重要なことだと思いますね。

真山:もう1つお聞きしたいことがあります。普段、障害のある人を目にする機会が少ないので面と向かったとき、目のやり場に困ってしまうことがあります。以前、障害のある人に取材をしたときに、「障害はその人の個性のなかの1つとして見てほしい。介助が必要なときもあるけれど、それも含めて個性だ。最初はじろじろ見ていいから、ちゃんとまっすぐ見てほしい」と言われたことがありました。そう言われても、やはり見てはいけないと思ってしまったことがありましたが、これは慣れですか?

かつては車いすに吠えた犬も慣れてきている

垣内:慣れでしょう。話がちょっとずれてしまいますが、最近犬に吠えられなくなったんです。犬って結構視線が近いので、車いすにライバル視して、戦いに来るんですよ。

独自の目線で“障害”を“価値”に変えようとするビジネスの「つぼ」が見えてきた(写真:NHK大阪放送局)

真山渡邊:へえ!!

垣内:結構「ワンワンワン!」って吠えられていたんですよ。でも、最近犬に吠えられないなあと、体感としてあって。また犬だけじゃなく、子どもも振り向いたりしなくなりました。あくまで私の仮説ですが、もう犬さえも、車いすに慣れてきているんだろうなあと。昔は子どもたちも、車いすというだけで、すごいじろじろ見てきたんですよ。でも最近は全然見てこないですね。エレベーターも自然に押してくれて「お先にどうぞ」と言ってくれる子どものほうがよっぽど多いんです。慣れてないのは大人だけなんです。

真山:大人は偏見を持ってしまうのですね。

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