「集団的自衛権」はなぜ必要なのか?

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「集団的自衛権」はなぜ必要なのか?

民主党参議院議員・藤末健三

2006年12月14日、安倍晋三首相は、米『ワシントン・ポスト』のインタビューの中で、日本上空を通過し米国などに向かう可能性のあるミサイルを迎撃することが、憲法の禁じる集団的自衛権の行使に該当するかどうかを研究する、との考えを示しました。

 他国で発射され日本に飛来するミサイルが、日本に着弾するか、日本を越えて他国に向かうか、を判断するのは極めて困難です。そのため、仮に着弾地点が不明でも、それを日本への攻撃とみなし、個別的自衛権を発動して迎撃できるよう政府見解を整理しておく--。そうした意図が安倍首相にはあるとみられています。

 実際のところ、ミサイル発射後に、それがどこを狙っているかの判断はどの程度つくのでしょうか。この質問を、兵器産業の関係者にぶつけたところ、「技術的には難しいが、探査精度を上げることができれば、ある程度打ちあがった時点でどこに向かっているかはわかる」とのことでした。技術的にできることと実際にできることは違いますので、はっきりしたことは言えませんが、ひとつだけ言えることは、技術が進歩すれば状況も変わるということです。

 そもそも、集団的自衛権は、ミサイル防衛だけの話ではありません。日米安全保障の下でわが国をどのように防衛するべきか、という全体像を見ながら考えるべきことです。ここをきちんと整理していないと、「ミサイル・ディフェンス(MD)」だけのミクロな議論では正しくても、日本の防衛戦略全体のマクロな議論では正しくないという、合成の誤謬が生じてしまいます。

 「集団的自衛権」の起源

 さて、集団的自衛権とは、右図のように、一国に対する武力攻撃について直接に攻撃を受けていない第三国も共同して反撃を行うことができる権利です。(集団的自衛権のさらに詳しい解説については『安倍晋三氏の改憲発言は正しいのか』を参照してください)  


 集団的自衛権については、国連憲章51条に「Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence」(この憲章のいかなる規定も、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない)として明示されており、全ての国連加盟国に国際法上認められています。

 本来、国連は、「国連だけに武力制裁を認め、集団安全保障で世界の平和を守ろう」としていました。ただ、国連憲章の起草過程において、戦後の安保理が機能麻痺するケースを想定して、上記の文言が挿入されたのです。つまり、安保理常任理事国であり拒否権を持つ5大国の意見が一致しない場合、国連の集団安全保障機能が機能するまでに時間がかかります。そのため、5大国の意見が一致するまでのあいだ、各国に自国を守る権利(個別的自衛権)と同盟国を守る権利(集団的自衛権)を認めることになったわけです。

 しかし、自衛権は無制限に認められるわけではありません。発動するためには、被攻撃国による、(1)武力攻撃を受けた旨の宣言、(2)明示の援助要請、という二つの要件を満たす必要があります。そうすることによって、その濫用に歯止めを掛けています。(1986年の国際司法裁判所のニカラグア事件本案判決)

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