「集団的自衛権」はなぜ必要なのか?
「集団的自衛権」を読み解く3つの学説
国際的に見て、集団的自衛権に関する学説は、大きく3つに分類されます。ちなみに、すべて、外国の研究者の学説です。
1つ目が、個別自衛権の共同行使とみる説です。集団的自衛権も自衛権であることにかわりなく、一国に対する武力攻撃によって、他国の実体的権利も侵害される場合に、自衛権が行使されるとする考え方です。
2つ目が、何らかの意味で自国の防衛とみる説です。集団的自衛権とは、武力攻撃を受けた国と密接な関係にある国が、当該攻撃を自国に対するものと見なし、攻撃国に反撃を加え得る権利であるとする考え方です。
3つ目が、他人の権利の防衛とみる説です。この説では、集団的自衛権を、「一国が武力攻撃を受けて個別的自衛権を行使しているが、そのための武力が十分でない場合に、他国がこれを補完し、援助するために行う措置」として解釈しています。その根拠は自国の実体的権利が侵害されるからではなく、平和・安全に関する一般的利益に基づくものです。国際司法裁判所(ICJ)判例(1986年のニカラグア事件の本案判決)はこの説に近いと考えられています。これは集団安全保障の考え方につながります。
いずれにしても、資料を検索してみた結果、「国際的な集団的自衛権に関する学術的な議論」は異常に少ないな、と感じました。おそらく他国では、「集団的自衛権」についてそれほど深い議論はなされていないと思われます。日本で集団的自衛権についての議論が盛んなのは、やはり「憲法9条により、わが国は集団的自衛権を保有するが行使できない」と解釈されているからに違いありません。
日本における「集団的自衛権」
国連憲章やサンフランシスコ講和条約、日米安保条約などに明示されているように、日本が集団的自衛権を保有していることは明らかです。
しかしながら、海外での自衛隊の活動に可能性を持たせる集団的自衛権は憲法9条に抵触する恐れがあります。そのため、どうにか矛盾を解消し、整合性を持たせるために、「日本は集団的自衛権を保持しているが、行使はできない」という論理を内閣法制局は編み出したとも言えます。
防衛庁の省への昇格関連法案の国会質疑の中で、私自身が内閣法制局長官に「政府の一組織が、立法府(国会)から独立して、国の最高法規である憲法の解釈を決めるのはおかしいのではないか」といった論調の質問をしましたが、この点について明確な回答が得られませんでした。
内閣法制局の「論理の組み立て」には敬服しますし、また、法律の解釈は曲げないとの態度もすばらしいと思いますが、問題なのは「内閣法制局が行政府の一機関にすぎない」ということです。やはり、集団的自衛権という憲法上最重要事項の解釈を行うのであれば、もっと高いレベル、具体的には「最高裁判所」などの判決で明確に憲法解釈をしなければ、「三権分立の民主国家」とは言えないと考えています。