あなたは「屋久島」の奥深さを知っていますか 思わず人に話したくなる蘊蓄100章で綴る

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40. 1595年屋久島は太閤検地によって島津家の直轄地になったが、その後、石田三成は島津義久に木材調達を指示。

41. 豊臣秀吉による京都方広寺大仏建立のための資材で、実際に薩南海域から大阪へ木材が運搬された形跡がある。

42. 一説には、現在も屋久島に残る「ウィルソン株」はその際に切り出されたスギの切り株ともいわれている。

1586(天正14)年に豊臣秀吉の命令により切られたといわれるウィルソン株(写真:K/PIXTA)

43. 17世紀には薩摩藩によるスギの伐採が本格化し、明治になるまでに良木のほとんどが切り出されたという。

44. 島に残る樹齢1000年程の巨木は、当時ゆがみなどで山地での製材が不可能とされ伐採されなかったものが多い。

45. 伐採の跡地にはその後スギの稚樹が育ち、300~400年を経て美しい二次林、三次林を形成している。

46. 屋久島を代表する古木として知られる「縄文杉」は、かつてその巨大さから推定樹齢6000年以上といわれていた。

47. そのため1983年に旧・環境庁が制作したポスターでも〈7200歳です。〉と紹介され、全国にその名を馳せた。

48. しかし現在では放射性炭素年代測定によって縄文杉の推定樹齢は2170年以上であることが確認されている。

49. これは幹の中央部が腐食で空洞化し最も古い部分のサンプルがとれなかったためで、さらに高齢の可能性もある。

50. また同心円状の年輪を形成しておらず内部組織の年代が入り乱れていたことから〈合体木〉という説も生まれた。

51. これに対し縄文杉の数本の大枝から葉をサンプリングして遺伝子解析した結果、一本の木であると証明された。

有名な屋久杉は、杉の個体に名前が付けられたもの

52. 縄文杉の樹齢は定まらないが「大王杉」「紀元杉」「弥生杉」「ウィルソン株」の推定樹齢は3000年以上とされる。

53. 島内で使用される「縄文杉」や「大王杉」という呼び名は種の名称ではなく、植物の個体に付せられたものである。

54. その豊かな森には、ヤクザルやヤクシカ、ヒメネズミ、コイタチ、コウモリなどの野生哺乳類が生息している。

55. 1990年代以降、外来種のタヌキが観察されているが、主要動物や爬虫類は日本本土とほぼ共通である。

56. 一方、屋久島より南方の土地に生息するアマミノクロウサギやハブなど南西諸島独特の生物は見られない。

57. そのためこの島の南側には、動物分布の境界線でトカラ構造海峡とも呼ばれる「渡瀬線」が引かれている。

58. 周囲を海に囲まれているが海岸線は崖や磯になっている部分が多く、砂浜はごくわずかで海水浴施設は乏しい。

59. 海水浴可能な島北西部の「永田浜」は、アカウミガメの産卵地としてラムサール条約にも登録されている。

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