松井稼頭央の「天国と地獄」を支えた妻の献身 メジャーリーガーの妻としての壮絶な日々
ブーイングはどれほどのものだったのか。稼頭央の言葉が、そのすさまじさを物語っている。
「あれはすごかったですね。観客が5万人なら、4万9990人はブーイングをしていました」
それは美緒さんの脳裏にも焼きついている。メッツの試合を観に行った知り合いには、「あの中でよくいたね」と驚かれるほどだという。
それでも美緒さんは、スタジアムに足を運ぶことをやめなかった。稼頭央の表現を借りれば、ブーイングをしない残り10人の観客の中に、妻と娘は確かにいた。周りが容赦ないバッシングをしようとも、2人は応援を続けた。
すると、稼頭央に対する悪口が、美緒さんの耳にはっきり届くようになってきた。美緒さんが辺りを見回すと、心無いメッツファンと目が合う。稼頭央の家族だと気づいた人たちが、あえて美緒さんに聞こえるように言っていたのだ。
「ブーイングは今までの日本人の選手の中でも群を抜いていたと思います。『日本に帰れ!』と言われるのは、ちょっと耐えられないですよね」
さらに、美緒さんは“夫の野球人生最大の屈辱”を目の当たりにする。ある日の試合、稼頭央が眼鏡をかけてグラウンドに出てきたのだ。稼頭央のエラーの原因が視力にあると決めつけたコーチが、半ば強制的に眼鏡をかけさせたのだった。
日本では自信に満ち溢れていた夫の背中が小さくなってしまったかのようだった。今では忘れてしまった人も多いだろうが、ライオンズ時代の稼頭央は金髪だった時期がある。
「日本で金髪はあまり良くないって言われても、『結果を出せばいいんでしょ』みたいな強い気持ちがありました。それなのに、言われることに従うようになっちゃったんですよね。眼鏡なんて絶対かけたくなかったはずなのに。それがすごく切なくて」
その思いを、美緒さんは夫に宛てた手紙にしたためている。
夫といるときは明るく、笑顔を絶やさない
このままでは稼頭央が潰れてしまう。そのとき、美緒さんは自分がプロ野球選手の妻、メジャーリーガーの妻であることを初めて強く自覚したという。自分には何ができるのか。美緒さんが導き出した答えは、シンプルなことだった。
せめて夫と一緒にいるときは、明るく、笑顔を絶やさない。
そして、稼頭央が100パーセントの力を野球に注げるように、明るく振る舞った。
「最初はアメリカの生活はちょっと大変だったけど、だいぶ慣れてきたかも。
本当に一緒に来てよかった。もうずっとここで暮らしてもいいかも」
それは本当ではなかった。稼頭央が野球に専念できるように、と美緒さんなりの気遣いだ。実際は近くに頼れる人もなく、日常生活を送るだけでも、苦労の連続だった。言葉も文化もまるで違う海外で、幼い娘を一人抱えて、さみしさと不安に襲われ、涙する夜が何度もあった。それでも美緒さんが夫の前で笑顔を絶やすことは一度もなかった。
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