なぜ政府も野党も最低賃金を無理に上げるのか 「年5%賃上げ10年連続」はやるべきではない

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本来であれば、失礼ながら批判するにも値しない事例なので、政府の方針に関する話に戻しましょう。

国民が老後を心配して貯蓄に励み続けるのは、我が国の年金制度をはじめ社会保障制度に対して不安感や危機感を持っているからです。

金融庁の金融審議会が今年6月初旬にまとめた報告書では、「平均的なケースで男性65歳以上・女性60歳以上の夫婦では、今後30年にわたって生きるとすると2000万円が不足する」という推計結果が耳目を集めていますが、もともと現役世代(とくに若い世代)は年金制度をほとんど信用していないので、個々の努力で節約をしながら貯蓄額を増やし続けています。それは、世代別の消費性向の推移を見れば明らかです。

2人以上勤労者世帯の平均消費性向、単身勤労者世帯の平均消費性向」(総務省)

国会の審議を見ていて辟易するのは、野党が「2000万円不足する」という言葉をクローズアップして政府批判を繰り返している一方で、政府・与党は「報告書はないものとする」として、本質的な議論がなされない状況になっているということです。

少子高齢化が加速していく社会では、公的年金の制度をどのように維持していくのか、それと同時に、自助努力を支える仕組みをどのようにつくっていくのか、先送りをせずに早急に議論すべきです。

今回の金融庁の報告書など出なくても、国民はずっと前から将来への不安感を和らげるために、消費を抑えて貯蓄するという堅実な行動を取ってきています。

国民が持っている将来への不安を解消しようと努力することもなく、企業に賃金の引き上げを強いたりすれば、弱い立場の零細企業の倒産・廃業がじりじりと進む中で、国民が抱える不安感はますます高まり、国民はいっそう節約を心がけ、貯蓄に励むようになるのではないでしょうか。すなわち、国内における企業の稼ぎは思うように伸びず、淘汰によって少しだけ伸びた生産性は、再び低下していく可能性のほうが大きいように思われます。

雇用も産業も創出できなかった「成長戦略」の無策

仮に100歩譲ったとして、最低賃金を引き上げることで生産性の向上を達成したいというのであれば、それによって失われる雇用が容易に他の雇用に移動できる環境を整備しておかなければなりません。

中小零細企業の淘汰をドラスティックに促したいというのであれば、それによって失業する人々の受け皿となる雇用や産業をつくりだす必要があるのです。結局のところ、倒産・廃業する企業や産業の代わりに、成長戦略によって既得権益を打ち壊し、生産性が高い雇用や産業を育成しておかなければならなかったというわけです。

政府が成長戦略として実行しなければならなかったのは、生産性の低い産業・企業を金融緩和や補助金漬けで延命させることではなく、そういった産業・企業で働いている人々のために新しく強い雇用を生み出すこと、すなわち、従前より生産性の高まった成長産業を育成するということでした。本来であれば、アベノミクスの第3の矢とされる成長戦略でその偉業を成し遂げてほしかったのですが、実際には6年余りの年月を空費してしまっているのは非常に残念でなりません。

失業者の新たな受け皿となる雇用や産業が育っていない現状で、安易な発想に基づいて最低賃金の引き上げだけを先行させるようなことがあれば、最低賃金が1000円を突破する3年後には、失業率が直近の2.4%(2019年4月)から3.0~3.5%へと上昇していても不思議ではないでしょう。

生産性の向上が手段として目的化してしまうと、少子高齢化に伴う人手不足で失業率が上昇するはずのない日本において、失業率が徐々に上昇するという奇妙な出来事が生じるようになるのです。そのようなわけで、政府が成長戦略を長年にわたってさぼってきたツケはあまりに大きいといえるでしょう。

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