そうはいっても、日本、アメリカ、欧州における国民の生活水準を比較すると、日本は経済学者の間でいわれているほど低迷などしていません。その証拠として、実際にアメリカや欧州で生活をしてみれば、日本よりも明らかに落ち込んでいる人々の生活水準がわかるからです。これは、平均的な所得の日本人がアメリカや欧州に行って、その国で生活してみればたちどころに理解できることです。
例えば、世帯年収が600万円の日本の家族がアメリカにそのまま移住して、日本と同じ生活水準を維持するのは、極めて難しいことです。肌感覚でいえば、日本の600万円はアメリカにおける400万円くらいの価値しかないのではないしょうか。確かに、日本人の所得は1997年のピーク時と比べれば下がっていますが、物価を考慮した生活水準は当時のアメリカほど落ちていないことをはっきりと認識するべきでしょう。
日本とアメリカを頻繁に行き来しているビジネスマンが帰国したとき、「どうして日本はこんなに食べ物が安くておいしいのだ。日本は本当に恵まれた国だ」と感激するという話は、そうした肌感覚を裏付けています。あれだけおいしい牛丼がたった300円台で食べられる国など、先進7カ国の中ではありません。イギリスやフランスで同等の食事をしようと思ったら、2000円程度は支払わなければならないでしょう。
政府の怠慢を国民に押し付けてはいけない
IMF(国際通貨基金)やOECDなど国際機関の経済統計を見ていてすぐ気付かされるのは、国際的な比較をした統計の多くが、比較するのが適当であるのか疑わしい場合が多いということです。
ドル換算で統一して比較すること自体に、さきほどの最低賃金の例で示したように、相当な無理があるからです。とりわけ生活や賃金に関連する統計では、為替の変動や物価の違い、税制や社会保障制度の違いによって実質的な水準が変わってくるので、どこの国が優れていて、どこの国が劣っているとは、本当の意味ではいえないのです。
例えば、日本国民の生活水準を分析するときに、私は「実質賃金を最も重視すべきだ」と主張し続けてきましたが、これとまったく同じ条件で統計を出している先進国はありませんし、そもそもアメリカのように実質賃金を算出していない国もあります。ですから、日本の実質賃金と他の国々の所得に関する統計を、同じ土俵で比較するのは非常に難しいといわざるをえません。
さらには、それぞれの国々の格差や生活様式、文化、価値観などの違いにより、所得という概念を平均的な数字だけで判断するのが難しい場合があります。IMFやOECDの国際比較の統計などを見ていても、日本国民はいちばん生活水準が高いと考えられる統計もあれば、日本国民とアメリカ国民の生活水準はあまり変わらないと思わせる統計もあるのです。そういった意味では、国際比較だけを見て経済政策を決めることは、あまり賢い方法であるとはいえないと思います。
最後に、日本の最低賃金の引き上げの話に戻しますと、最低賃金の引き上げ幅の目安となる額は、毎年の夏に厚生労働省が設置している「中央最低賃金審議会」で決められています。とはいえ、政府の「骨太の方針」が、審議会における議論の方向性をつくっているのは確かなことです。
それゆえ、私が審議会に出席する学識者や労使の代表に求めたいのは、政府の方針に完全に服従することなく、本質的な議論をしてもらいたいということです。政府は成長戦略をおざなりにしてきたからこそ、最低賃金の引き上げという安易な発想に行き着いてしまったのです。「政府の怠慢を国民に押し付けてはいけない」と、強く思っている次第です。
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