「存在のない子供たち」が描く中東の難民の惨状 主人公役もシリア難民、現実の事象を映画化

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メガホンをとったのは、「世界で最もパワフルなアラブ人100人」に選ばれたこともある、レバノン・ベイルート出身の女優・作家・映画監督であるナディーン・ラバキー。彼女は2005年に、若手クリエーターたちがパリで数カ月の共同生活を送りながら、脚本を執筆するというカンヌ国際映画祭主宰のプログラム「レジダンス」に参加。ここで執筆したのが、彼女の長編デビュー映画『キャラメル』(2007)で、同作はカンヌ国際映画祭の「監督週間」で上映されたほか、日本でも劇場公開されている。

その後も2本目の長編監督作となる『Where Do We Go Now?(英題)』(2011)がカンヌ国際映画祭「ある視点部門」で上映。長編監督作第3弾となる本作、『存在のない子供たち』がカンヌ国際映画祭の「コンペティション部門」で上映。さらに今年の第72回カンヌ国際映画祭では、「ある視点部門」の審査員長を務めるなど、まさに“カンヌの申し子”とも言うべき注目の女性クリエーターである。

3年かけてシリア難民の現状を取材

レバノンには多くのシリア難民が難を逃れて入国してきており、この物語で描かれているような現実が目の前にある。ラバキー監督は、本作を制作するに当たり、リサーチ期間に3年かけ、大勢の難民に話を聞き続けた。当初、彼女の頭の中には「不法移民」「不当な扱いをされる子どもたち」「移民労働者」「国境という概念とその馬鹿らしさ」「自分たちの存在を証明するために紙切れ(証明書類)が必要であるという事実」「人種差別」「相手に対する恐怖」「子どもの権利条約への無関心」といったものがあった。

主人公の少年ゼインは学校にも行けず、弟や妹と日銭稼ぎの日々を送る ©2018MoozFilms

それらは思わず目をそらしたくなるような現実だ。リアリズムを追求する作品だからこそ、創作において何の制約も受けずに100%自由に表現をしたい。そう考えたラバキー監督と、夫のハーレド・ムザンナルは、本作を完全に自分たちのプロダクションで作ることを決意する。だが途中で資金が底をついたこともあるなど、それは決して楽な道のりではなかった。それでもハーレドはこの企画を信じ、資金集めなどで妻のクリエーティビティーを支え、守り続けた。

彼女の物語作りのスタイルは、「すでに確立しているシステム」と「その矛盾」を問いかけ、さらに「その代わりとなるシステム」を想像するというものだという。そこから物語は、不当に扱われている子どもたちを中心に紡ぎ出されるようになった。そこで描かれるのは、システムに捨てられた子どもたちの大人たちに対する激しい怒りであり、痛切な叫びだ。

だがその原因となる、貧困や移民、国のシステムといった問題は、そう簡単に変えられるものではない。だからこそ厳しい現実を目の当たりにして、絶望的な気持ちになる。そしてその思いはラバキー監督も同様だった。

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