立川志らく「弟子降格」批判では見えない本質 外野から「パワハラ」とくさすのは無粋である

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そんな志らくさんの行動原理を読み解くには、彼が生粋の「立川談志原理主義者」である、という一点をおさえておけば十分です。

志らくさんはもともと落語が大好きで、中でも立川談志さんに心酔して、弟子となりました。談志さんの落語はもちろん、その趣味嗜好や生き様、人生観などのすべてにおいて多大な影響を受けています。談志さんが亡くなった後には、彼が所蔵していた膨大な量の芸能関係の資料とその住居だった一軒家まで志らくさんが譲り受けました。

師匠・立川談志とはどんな人物か?

談志さんは弟子に対して人一倍厳しいことで知られていました。落語界では珍しい「上納金制度」を採用していて、弟子からお金を取っていました。談志さんには「修業とは矛盾に耐えることだ」という持論があります。

2008年5月「立川談志 談春 親子会 in歌舞伎座」開催についての記者会見での故・立川談志師匠。東京・中央区の歌舞伎座にて(写真:時事通信)

彼の弟子はそれぞれ修業時代に無茶な要求をされたり、理不尽に怒られたりしてきました。ただ、それがあとから話のネタになったり、伝説として語り継がれたりもしています。落語家の師弟関係とはそういうものなのでしょう。

また、談志さんは世の中に対してシニカルな目線を持ち、自由奔放に発言をすることでも知られていました。私がとくに印象に残っているのは、2001年ごろに爆笑問題の深夜番組にゲストとして出演した談志さんが、嬉々として「あれはすごかったな」と、ある出来事について話していたことです。

このとき、放送上では談志さんの詳しい発言内容はカットされていたのですが、映像では彼の身振り手振りが捉えられていました。片手で飛行機を、もう片方の手でビルを表現して、飛行機がビルに突っ込むところを描写していました。

そう、多数の死傷者を出して世界を震撼させたあの「アメリカ同時多発テロ事件」を、談志さんは笑いながら話のネタにしていたのです。今の時代の地上波テレビでは、まず見られない光景です。

これに代表されるように、談志さんは世の中の常識やモラルに縛られない異端児として、強烈な存在感を放っていました。無邪気な子どもっぽさがある一方で、好きな分野に関しては博識で理屈っぽいところもあり、その落語論や芸論に関しては右に出る者がいないほどです。

談志さんは「伝統を現代に」をモットーとして、古典落語を現代の観客が楽しめるものとして提供することにこだわってきました。自分自身もテレビなどのメディアに積極的に出演して、その存在をアピールしてきました。

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