自我が芽生え、ようやく母親に反抗できるようになったのは、学生時代のフランス留学がきっかけでした。
なお留学するまで、夏子さんには「普通の家庭の人に対してすごくコンプレックスがあった」のですが、フランスでは未婚のシングルマザーなども“普通”の存在でした。「うちがすごく変わっていても、それがどうした? という感じだった」ので、とても居心地よく感じたと言います。
鬱のなかで得た新たな視点
母親が他界したのが、今から約3年前。その少し前から、夏子さんには鬱の傾向が出ていたのですが、母親が亡くなって約1年後、症状が最も重くなりました。
「結局それまで私を支えていたのは“母に対する憎しみ”という感情だったので、その対象がいなくなったら、支えがなくなってしまった。別れた夫ともいろいろあった時期で、死にたい願望が出て、ちょっとやばかったんです」
しかしその頃、本を読んだり人に会ったりする中で、自分の考え方を変える、いくつかのきっかけに出会えたといいます。
その1つは、アドラー心理学の本で読んだある話でした。カウンセリングを受ける人には「悪いあの人」と「かわいそうな私」という視点しかないのですが、それだけでは問題は解決しません。必要なのは「これからどうする」という視点だ、という話です。
「今の私がこうなのは、これのせいだ、と理由付けをしている間は、心地いいんですよね。怠惰であろうが、反社会的な行動をしようが、自傷行為をしようが、『みんなあれのせい』と言っている限り自分は何の努力もしなくていい。ある意味、安泰なんです。
でも、もっと違う生き方もあるんだと、今は思います。今の私は、『これからどうする』しか考えないことにしています。私を幸せにするのは私、というふうにシフトしなければ、自分の尊厳を失って、流されるだけの人生になってしまう。うちの母は、ある種の性的虐待とネグレクトをしてきたわけですが、でもだからといって『それは私から何も損なわなかった』と、今は確信します。それは、私が決めることだから」
新たな視点を得て回復した夏子さんが、いま改めて振り返ると、母親の存在はやはり、とても大きなものでした。
「母が仕事をしている姿はすごく好きだったんですよ。ある種の成功者というところも、尊敬というか、『やるな』と思っていたし。一方で私は水商売が嫌いだったから、母をさげすんでもいました。でも、トータルでは母を愛していたんだと思うんです。だからこそ憎むしかない、という表裏一体な感じ。私を作ったのは、母に対する憎しみの感情と、愛への飢えだったんだろうな、と思います」
夏子さんからもらったメッセージには、「すべてにイエスと言って死にたい」という言葉がありました。どういう意味か、と尋ねると、「これからいかにすばらしい人生を生きるか、ということにしか目を向けない決意」だと説明してくれましたが、それは同時に、「過去のすべてをそのまま受け止める決意」ともいえるのかもしれません。
本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。周囲から「かわいそうな子」と決めつけられて違和感を感じた経験などがあれば、教えてください。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら