父を死へ追い詰めた母に、娘が40年抱いた愛憎 母を看取って選んだ「新しい生き方」

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「このままじゃらちが明かない、と思ったんでしょうね。私も仕事をする、といって母親が水商売を始めるんです。ちょうどすごくバブリーな時期で、母親も商売が上手かったので、うなぎ上りに成功していきました。最初はカウンターだけの小さい店だったのが、女の子を雇うようになり、クラブみたいなものを始めて、どんどん大きくしていって」

母親の浮気は、その後も相手を変え、続いていました。理解しづらいことですが、母親はよく、浮気相手に夏子さんを会わせていたそう。

「最初の人以降、たぶん私、5人くらいは会っているんです。よく覚えているのは、高級フレンチの店に連れて行かれたときのこと。まだ小学校1、2年ですから、ナイフとフォークではうまく食べられなくて、こぼしてしまった。子どもながらに考えて、布(ナプキン)で拭いたら、あとで母親にすごく褒められたんですね。自分の愛人の前で、娘が粗相をしなかったことがうれしかったようです」

相手はいつも、料亭の旦那さんや会社の社長など、お金をたくさん持っていそうな人ばかり。母親は地元の名家の出身でしたが、明治維新以降、一族は生活に窮し、大変な苦労をして育ってきたそう。お金にこだわったのは、その反動のようなものではなかったかと、夏子さんは考えています。

父親の死の真相

父親が亡くなったのは、夏子さんが11歳のときでした。

「父が死ぬ一週間前、夜中にすごい大げんかをしていたんです。父が『僕はこんなにママのことを愛しているのに、ママはそうじゃない。別れるから』と言って、出て行ってしまった。私と弟は泣いて待つんですけれど、一週間後に母から『父親は脳出血で死んだ』と言われて。私は腑に落ちなくて『なんかおかしい』と思っていたんですけれど」

自殺とわかったのは、小学校6年のとき。母親の引き出しの中から、父親の遺書を見つけたのです。

「当時母は商売が忙しく、私や弟にご飯の用意もしてくれず、ただお金が置いてある毎日でした。夜いないとき、私は母が恋しくて、よく布団や洋服を出して匂いを嗅いだりしていたんですが、そのとき母の引き出しの中に、父親が私と弟に宛てて書いた手紙を見つけ、これは人が死ぬ前に書く手紙のようだな、と思って。繰り返し読んで、自殺だということはわかりました。そこには『パパとママとのことは、大人になってから必ず真実を話してもらいなさい』と書いてありました」

しかし、母親自身の口から真実を聞くことは、ありませんでした。夏子さんは20代のころに一度、父方の祖母から、母親と浮気相手が息子(夏子さんの父)を自殺に追いやった、という話は聞いていたのですが、その人物が誰なのかは、まだわからなかったそう。

真実を知ったのは、父の遺書を見つけてから約25年後。夏子さんが37歳のときに母親が癌で入院した際に、問題の人物が“借金の保証人のサイン”を求めて母の病室を訪れたのです。このとき、夏子さんの中で「全部、一度につながった」そう。それは、かつて店で働いていた「父親の弟子」。父を死まで追い詰めたのは、妻と、弟子の浮気だったのでした。

子ども時代、食事や弟の弁当の用意、給食袋の縫い物など、家のことはすべて夏子さんに任されていました。小学生のころは母方の祖母がときどき家を訪れていたのですが、よく怒鳴り散らし、子どもたちをストレスのはけ口にする人だったため、夏子さんが母親に「中学生になったら全部自分でできるから、もうおばあちゃんに来なくていいと言って」と泣いて頼んだのです。そのため母親は、夏子さんが代わりに家のことをするのを当然と考えていました。

「中学生の頃、グレてみようとしたときもあったんですけれど、この人(母)は私たちがどうなろうと気づかないな、と悟りました。気づいてほしいからグレるわけじゃないですか。でも母は、私が髪をオキシドールで脱色しても全然気づかない。だから『グレるって、一種の甘えだな』と思っていました」

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