混沌たる世界を「アニメ」はどう変えられるのか トンコハウスの堤監督とコンドウ監督に聞く
父親として自分の娘の頭の良しあしを手助けすることは難しいけれど、好奇心を持ったり、より多くのものに興味を持つ手助けはできます。多くの人が好奇心を持ち、互いや世界でどんな変化が起きているか、それによってどんな未来が待ち構えているのかにより関心を持つ手助けはできるかもしれません。
現在の政治的変化は、自分たちが(作品に)どんなメッセージを込めるかをより真剣に考え、自らも好奇心を持ちながら、怖がることなく、ポジティブな作品を作り続ける原動力になっています。今の環境は僕たちのコントロールが及ばないもののように見えますが、実際はある程度のコントロールはできることだと思っています。
民話には日本人以外にも魅力的な豊かさがある
──「トンコハウス映画祭」でも制作の舞台裏を紹介していますが、このタイミングで日本の民話をベースにした作品を、コマ撮りで作ろうと思ったわけは。
堤:アメリカに長く住み、ピクサーというアメリカのスタジオで働いた日本人の僕にとって、鬼はずっと魅惑的な題材でした。日本の昔話はとても豊かなのにもかかわらず、多くは世界に伝わっていない。日本の昔話や民話を題材にした映画もありますが、世界の人に向けたものではありません。
トンコハウスの特徴の1つは、僕らがピクサーというアメリカのスタジオで訓練を受けている一方で、ロバートは日系アメリカ人で僕自身は日本人と、日本とつながりのあるメンバーが少なくないことです。そういう中で、アメリカの文化を日本へ伝える、あるいは、日本の文化を日本の外へ伝えるといったことを考えた時、日本の民話をやるのはどうだろう、と考えつきました。
面白いことに、このプロジェクトを始める前から、ロバートは常に日本の民話に興味を抱いていましたし、トンコハウスのもう1人の監督、クリス・ササキも、日本の民話や妖怪の話を映像化するアイデアを持っていました。日本の民話は、日本人だけでなく、アメリカで生まれ育った人にとっても興味深い何かがあるのです。
コマ撮りにしようと思った理由は2つあります。1つは、ドワーフとずっと仕事をしたいと考えていたこと。今回の題材が日本の「鬼」ということで日本と関係のあるスタジオと協働したいと思っていました。
もう1つは、日本には「八百万(やおよろず)の神」、つまり自然や道具まですべてのものに魂が宿っているという考えがあり、コマ撮りはすべてのものに命を吹き込むのに理想的な方法だと感じたからです。ただ、これまでやったことのない試みで、僕らにとっては大きなチャレンジなのは間違いありません。
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