令和時代に「金融の覇者」になるのはどこなのか 「中国型」のビッグデータ利用は認めてよい?

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メガバンクでも、窓口で扱っている投資信託の同様の手数料が2%前後に上る。投資家から現状と同様のペースで手数料を取り続けるのは、難しくなりつつあるのではないか。

メガバンクにはまだ余裕があるようにも見えるが、証券会社と比較して、銀行はより装置産業的である分、小回りが利かない。

加えて、国際ビジネスをほとんど持たない地方銀行には、今や稼げるビジネスがない。問題として話題に上ることの多い貸家向けのローンの不良化よりも先に、運用の失敗で経営破綻する地方金融機関が出ることが心配だ。1990年代の経験から見て、収益に苦しむ金融機関は、リスクもコスト(実質的な手数料)も大きな不適切な運用商品(1990年代だと仕組み債など)に手を出すことが多い。彼らは、今や、危険が一杯の池(リスクのプール)で泳ぐカモのような状態になっているのではないだろうか。

地方銀行は、つい近年まで地元では「いい就職先」で通っていた。しかし、現在では、お金持ちの顧客にとって銀行がもたらす最大のリスクは、手数料が高い投信や保険を売りつけられること以上に、息子や娘が銀行に就職してしまうことではないか。

新技術で手数料の価格破壊が起きた

バブル崩壊の後始末に終始した感のある平成の金融ビジネスにあって、前向きな変化はインターネットを使った取引の発達だった。規制によって守られて変化の乏しい金融業界にも、新技術は影響を及ぼした。

この技術革新の平成時代に於ける最大の成果は、株式の売買委託手数料の自由化と大幅な引き下げの実現だった。取引コストの低減は、投資家全般にとっていいことだ。

他方、平成時代全体を見ると、投資信託の手数料は、1990年代に募集手数料、信託報酬共に引き上げられ、加えて、頻繁な乗り換えを勧誘する営業形態によって、投資家が支払う手数料水準はかなり高いものになった。

証券業界の手数料稼ぎの道具が、株式から投資信託に移った。そして、投信の販売は、1998年の「日本版ビッグバン」で銀行にも解放されたが、現在、銀行窓口での投信販売は対面営業の証券会社と大きく変わらない状態になっていて、収益環境の悪化に苦しむ銀行の手数料稼ぎの手段になっている。

しかし、平成の終わりに向かって、投信の募集手数料にもノーロード(販売手数料ゼロ)が増え、インデックスファンドの普及拡大と共に信託報酬も低下した(特に外国株式のインデックスファンドの手数料率引き下げが顕著で喜ばしい)。また、森信親長官時代に金融庁が、金融機関の露骨な手数料稼ぎに対して厳しい姿勢を取り始めたことも後押しとなった。

令和の時代にあって、対面営業で金融商品を販売して高い手数料を取るスタイルのビジネスはどんどん苦しくなっていくだろう。

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