『竹取物語』が書かれた時代には、真名文学と仮名文学の区別が存在し、『竹取物語』は後者に分類される。「真名」は正式な文字であり、中国という異国から伝わってきた漢字のことを指しており、「仮名」はその対極にあって、仮の、とりあえず間に合わせた文字というものであった。
言うまでもなく、真名で書かれた文章はすべて正しくて本物であり、仮名で書かれた文学はプライベートの、偽りの文章であったという認識が深く浸透していた。
男性陣は仕事上必要不可欠だったため、漢字を頭にたたき込んで、ちんぷんかんぷんの文章をマスターすべく、毎日勉強に励み暮らしていた。仮名を使って日本語を書くというのはせいぜい女を口説くときぐらいしか機会がなかったので、貴女と会えなくて袖が涙でびしょ濡れだぜ的なことは、だいたいみんなパパッと言えていただろうけれど、型にはまった言い方以外は、あまりお得意ではない殿方が結構いたのではないかと推測できる。
仮名の可能性を最大限に引き出した
生まれ育った国の言語なのに……日本から、否、京都から1歩も出ていないのにニホンゴニガテだなんて、ちょっとかわいそうにさえ思えてくる、どっちつかずのバイリンガルな男たち。つまり、当時の日本文化はまれに見る言語的ディストピアにあふれていたわけである。
こうした中、『竹取物語』の作者は、二流の言葉とされていた仮名の可能性を最大限に引き出し、そのすばらしさと豊かさを証明したかったのではないか、と私は(もちろん勝手に)にらんでいる。漢文には到底表現しきれないコトバの楽しさがそこにあり、それこそが『竹取物語』が長い年月読者を魅了し続けている理由の1つだろう。
物語のあらすじは誰でも知っているが、大きく3つのブロックに分けられる。まずは「かぐや姫の生い立ちと5人の求婚者の物語」、そして「かぐや姫とミカドの淡いプラトニックラブ」、最後は「かぐや姫の月の都への旅たちとミカドや両親の悲しみ」。
最初のパートは当時の求婚制度のパロディーも含まれ、かなりユーモラスな描き方になっており、それに続くミカドのパートと親との別れのパートは、面白おかしいエピソードを含みつつ、感動の場面もいくつか用意されている。泣けるポイント、クスクス笑えるポイント、感動するポイントがすべて見事に押さえられている。
中国の話やインドの話、ムラムラする男たちと純愛を貫こうとするミカドなど多岐にわたるコンテンツも驚きだが、日本語を見事に操っているのも見逃せない。
例えば、難題その二、蓬莱の玉の枝に挑戦した倉持の皇子の話。
中国に蓬莱という山があり、そこに白金を根に、黄金を茎に、白玉を実にして立っている木があるから、その木の枝を一つ折って持って来て欲しい、というのがかぐや姫の注文。その蓬莱山は、古代中国が生み出した幻の島で、もちろん実在しない。
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