プロ野球界の”リストラ”を描き続けた男 菊野浩樹プロデューサーが番組に込める思い
「もう1回野球をやりたい」選手を描きたい
青春時代をジャイアンツと原辰徳に捧げた菊野は、東大卒業後、TBSに入社した。「プロ野球はもうたくさん見たから」とスポーツ局を志望しなかった一方、「野球の周辺ドラマを描く、『野球狂の詩』みたいな番組を作ってみたい」という希望を持っていた。そうして誕生したのが、プロ野球ファンの間でいまや“冬の風物詩”となっている「戦力外通告」だった。
球界では毎年100人近くが戦力外通告を受ける中、菊野が描きたいと考えるのはどんな選手なのだろうか。
「『もう1回、野球をやりたい』という強い気持ちを持っている選手です。できれば、婚約者でも奥様でもご両親でも、支えてくれる方がいるといいですね。2時間くらいの番組の中で3、4人を描くので、バランスを取るようにしています。基本的にそんなに有名人を描くわけではないので、たとえば奥さんが妊娠している人、お父さんがかわいがっている人、子どもがすごくかわいい人というように、視聴者が認識しやすい選手を放送させてもらいます」
「ZONE」時代を含め、取り上げてきた選手の数は30人をはるかに超える。そんな中、特に印象に残っているのが宮地克彦と大越基だ。
1971年生まれのふたりは、高校時代から不思議な運命の糸で結ばれていた。1989年夏の甲子園では、準決勝で尽誠学園高校と仙台育英の両エースとして激突。その後は時期こそ違ったものの、ともにプロの世界に進んでいる。そして2003年オフ、宮地は西武、大越はダイエー(現・ソフトバンク)から戦力外通告を受けた。
現在でこそ、翌年の構想外となる選手はその旨を11月末日までに通告され、12球団合同トライアウトで再契約を目指す道のりが設けられているが、2003年当時の状況は違った。01年から合同トライアウトが始まったものの、その前に独自の入団テストを行う球団もあった。さらには所属チームが戦力外を通達する時期も異なり、選手間で不公平が生じていたのだ。
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