なぜエリートたちはオカマバーに行くのか
さて、私の周りにもオカマバーによく行く人がいて、またそろっていわゆるゲテモノ系のところに行く人が大半だ。東京に法外に高い、伝説のオカマのドンとも呼ばれている方がこじんまりと運営しているバーがあるのだが、そこには重鎮というか、首相経験者クラスが訪れ、そのオカマのドンに厳しい言葉で罵倒されている。
今ここでピンときたのだが、そういえば外国から来た大企業のエライさんがSMバーにはまっていて、投資銀行の友人に連れられたその場で、ピンストライプにカフスボタンにゼニアのジャケットをまとうインド人エグゼクティブが、どんどん脱がされて公衆の面前で蝋燭をたらされムチで打たれて悶絶していた。これは、日頃、人々に命令し率いる立場にある人が、自分自身に潜む“従属欲求”を満たすために、何万円も何十万円もはたいて皆の前で屈辱的な姿でムチうたれているのだろうか。
首相経験者クラスが70歳を超えた女装のオジサンにきつい言葉でしかられるのを好むのも、同じメンタリティなのだろうか。代わりに私に言っていただければ、1時間5万円くらいでムチだろうが蝋燭だろうが、ハイヒールで踏んで差し上げるなどなんでもやって差し上げるのだが……。
オカマバーが提供する、非日常空間のテーマパーク
さて、オカマバーの魅力に関してだが、これははまる人とはまらない人がいるだろう。やたらと下品な下ネタを繰り広げて、引きつった笑いを強要されるのを私は好まず、また還暦を超えたケバイコスチュームのオジサンたちに、おねえ言葉で体を触られるのを私は素直に喜べない。そんな時間とおカネがあれば、私は『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』を100冊くらい買って、世のため、人のため、そして私のために友人や親族に配りまくることだろう。
ただし、こんな上っ面のことだけ書いてると、「お前は全然わかってへんな……」と怒られるわけだが、その魅力の深い部分を考えても、なかなか断言しづらいものがある。中にはひとりくらい、言い張れば女性並みにきれいな方もいたが、これは到底理由にならないだろう。しいて言えば、これは日頃のパラダイムや常識から解き放たれた、“究極の非日常感”ではないか。これは悪い意味で言っているのではなく、非日常の空間で日常を忘れられるというのはあるだろう。
確かに10人もの還暦迎えたオジサンが、女装して女言葉で体をすりよせてくる日常はない。そんな非日常いらない、という説もあるし、私はそもそも日常が楽しく満足しており、忘れたくないんだ、という説もあるのだが、一風変わったテーマパークに行ったような、「こんな世界があるんや~」的な異次元空間っぷりは確かにある。
また、ちょっとシリアスな面に目を向ければ、セクシュアルマイノリティとして苦しんだ果てに性転換し、そんな自分が稼げる場として受け入れてくれる、貴重なコミュニティとみることもできるだろう(別にオカマの皆さんがすべてこんなシリアスだとは思えないので、一般化したり美化はできないのだが)。
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