オカママーケットの競争戦略
昔、日本に住んでいたとき、新宿のオカマバーみたいなところに某女性ファンドマネジャーが連れて行ってくれたところで感じたのだが、一流ではないオカマバーは、単に女装したオジサンが下品な猥談を繰り広げて爆笑しているだけで、何がいいのかさっぱりわからない。単に酔っぱらってバカ騒ぎするだけで、普通にエンターテインメントとして質が低かった。
まぁ、それが好きで、それに大金をはたきたい大金持ちが、そんな市場を支えるほど存在するのだろうから、私が文句をいうことではないのだが、厳しく言えば、芸のないヒトは卑猥な冗談に逃げているようにも思える。
いざとなったときに、違う引き出しをどれだけ持っているかが、競争が激化するオカママーケットでの生き残りをかけたひとつの鍵となるだろう。客のレベルに合わせて開ける引き出しを変えられる、というか、日頃はプロレスをやるのだけど、望まれればセメントマッチで相手を瞬殺できるというか、そういったコミュニケーションのプロ的な側面も、接客業のプロフェッショナルとして磨いてほしいものだ。
特にオネエブームで女装する男性が増えてきて、業界内での競争が激しくなる今日、従来のように女装して猥談するだけで、客がドンペリを開けてくれる時代は過ぎ去りつつある。
オカマバーはその市場における異なるニーズやセグメントを分析し、どのようなオカマ競争戦略を採用するのか、企業経営や投資家の立場から今後の展開を見守りたい。
一流のオカマバーは、良質の“生き様コンサルティング”
最後に、話は戻って大昔、その東京にある(まだあるのかな?)伝説のオカマバーに連れて行ってもらったときのことを話そう。まず値段はあってないようなもので、そのママ(……というか、パパ……というか、ジジ……というか……)の気分ひとつで、1人1万円にもなれば、20万円にもなるのだけど、それに文句を言う野暮な客はいない。
その方は身体のどこも工事することなく、その理由を、「私のありのままの姿をすべて受け入れてほしい」とおっしゃる。時間があれば京都の一流の日本伝統舞踊の稽古にも通われるということで、なるほどいざとなれば動きが優雅かもしれない。少しだけその伝統舞踊を舞ってくれたのだが、確かにその瞬間だけ(ただし本当に瞬間風速)は気品があった。そのママというかジジというか、マスターと若い客が接吻(キスというか、より古風な表現が似合う)しているのには驚きだったが、不気味さは感じてもいやらしさは感じず、なんか無邪気に愛情表現を楽しんでいる、と好意的に頑張れば言えるかもしれない。
その若い客は、「ママさんはいい女だよね?」とか言って私に同意を求めてくるのだが、いくら愛想でも言える愛想と言えない愛想があり、「え、ええ、ま、まぁ……」と歯切れの悪い居心地の悪い返事に終始してしまった。
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