今季は駅伝主将を務める大迫だが、チームとは完全な別メニューで、スピードを磨いてきた。日本選手権1万mで学生トップの2位に食い込むなど、トラックの主要レースでは日本人学生ランナーに無敵を誇ってきた。「2016年のリオ五輪まではトラックで行けるところまで行きたい。トラックで勝負するために米国へ行きます」という大迫は、来季から練習拠点を米国に移すため、今季はその“移行期間”として取り組んできた。これまで2週間程度の米国合宿を2度行い、箱根駅伝の前に約4週間のロング合宿を敢行した。
渡米前の大迫に直撃すると、「箱根駅伝ですか? 個人としての目標は特にないですけど、チームとしては総合優勝を狙っているので、チームに貢献できる走りがしたいです」という優等生的な答えが返ってきた。しかし、どういう思いで最後に箱根に臨むかと問うと、「素直に言ってしまうと、求められる答えはできないですね。ただ、同学年で競技を終える選手もいるので、総合優勝してみんなでいい思い出が作れたらなと思います」と話した。言葉にこそしなかったが、すでに世界大会を経験している大迫の中で、「箱根駅伝」は“特別”な大会ではなくなっている。
「過去2回の米国合宿では試合の調整もあり、本格的な練習はできませんでした。でも、今回は本格的な練習ができると思います。どういう練習をするのかわかりませんが、これまでとは違うかたちで箱根駅伝を走ることになるでしょう。どんなかたちになるのか。帰ってきたらわかると思います」(大迫)。
大迫の区間に対して、渡辺監督は「花の2区はないでしょう」と話しており、学生界のエースは1区か3区での登場が有力だ。箱根駅伝の“聖域”というべき、「花の2区」を走ることがステータスであった時代は変わりつつある。
「エースは2区」という考えは古いのか
71回大会(1995年)で当時大学3年生だった渡辺康幸(早大OB)は2区で区間新記録を樹立。翌年も2区を走り、区間歴代2位の好タイムを刻んでいる。当時の2区はエースたちが集結して、力と力をぶつけ合う華やかな区間だった。アドレナリン全開で臨むエースたちの激突は、数々の名勝負を生んできたが、近年は「花の2区」を回避するエースたちも出てきている。
ロンドン五輪代表にもなった竹澤健介(早大OB)はコンディションがよくなかったこともあり、3・4年時は3区に出場。5000m13分21秒49(学生歴代4位)の記録を持っていた上野裕一郎(中大OB)、3年連続で区間新を樹立した佐藤悠基(東海大OB)は、一度も2区を走らずに卒業した。1万mで27分44秒30の日本人最高記録(当時)を樹立した鎧坂哲哉(明大OB)も腰痛の影響で、最終学年は10区に回った。10年ほど前なら、「何がなんでも2区で勝負してやる」というエースが大半だったが、近年のエースたちは非常にクールだ。無理に大役を担うのではなく、自分が勝負すべき区間を望む傾向が強い。
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