ベイスターズが17年ぶり「マルハ」と再会の裏側 マルハニチロが球団創設70周年スポンサーに

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1月29日の創設70周年を記念したオフィシャルスポンサー就任会見での様子。写真左からアレックス・ラミレス監督、横浜DeNAベイスターズ岡村信悟社長、マルハニチロ伊藤滋社長、山﨑康晃選手(写真:横浜DeNAベイスターズ提供)

3月10日、山口・下関。降水確率100%の雨予報。

横浜DeNAベイスターズ対広島カープのオープン戦は、同日午前9時台には中止が決まった。

試合が行われるはずだったオーヴィジョンスタジアム下関(下関球場)は、ちょうど69年前の1950年3月10日、当時発足1年目だったセ・リーグの開幕戦が開催された球場だ。

3月10日、オーヴィジョンスタジアム下関の球場外観(写真:横浜DeNAベイスターズ提供)

下関に本社を置いていた大洋漁業(現マルハニチロ)を親会社とする大洋ホエールズは、国鉄スワローズに2対0で勝っている。

ホエールズもまた、1949年11月に誕生したばかりの新球団であり、この一戦がプロ野球チームとしての幕開けだった。

時代とともに親会社も、球団・チーム名も、本拠地も変わったが、下関はまさしくベイスターズの原点と言える場所なのだ。

今年1月29日、ベイスターズは、70周年記念プロジェクトのオフィシャルスポンサーに水産最大手のマルハニチロが就任したと発表した。その記者会見で、マルハニチロの伊藤滋社長は「再びベイスターズとともに行動できる日を迎え、万感の思い」と語ったという。

マルハニチロの前身である大洋漁業(1993年、マルハに社名変更)が球団オーナーであった期間は、2002年までの53年間におよぶ。その間には、2度のリーグ優勝・日本一があった(1960年と1998年)。球団を手放してから17年、再び手を取り合う日がついに訪れた。

プロ野球の世界で、旧親会社が現球団とタッグを組むのは異例のことといえる。

その経緯をたどると、両者の再会には運命的なものを感じずにはいられない。

ホエールズ時代から続く球団愛

ホエールズはもともと、林兼商店(大洋漁業の前身)の実業団チームとして1929年に発足。全国屈指の実力を誇っていたこともあり、大洋漁業の球団に対する愛情には並々ならぬものがあった。

大洋漁業の創業家であり球団オーナー職を代々受け継いだ中部家が強い球団愛を持っていたことはよく知られているし、同じことは社員たちにも言えた。捕鯨が主事業の一つであった時代、「有望選手の獲得に契約金が必要だ。ミンククジラをもう一頭捕ってこい」という電報が遠洋にいる捕鯨船にまで飛んだ、などという逸話も語り継がれている。

1998年には、優勝までのマジックナンバーを当時大手町にあった本社ビルの“窓文字”で表した。各部署だけでなくテナントで入居していた企業にまでブラインドの開閉を細かく指示し、日ごとに減っていく光の数字を夜の街に浮き上がらせた。

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