ベイスターズが17年ぶり「マルハ」と再会の裏側 マルハニチロが球団創設70周年スポンサーに
だが、社の経営は時代の荒波に翻弄された。
現在、マルハニチロの広報IR部長を務める阿部富寿夫が当時を思い返す。
「排他的経済水域(EEZ)の設定で北洋漁業ができなくなり、続いて捕鯨からの撤退を余儀なくされました。海外事業でもうまくいかないものが出てきて……。一言で言えば、本業で儲けられなくなってきたんです」
経営が厳しさを増すなかでも、球団に対する思いは変わらなかった。
1993年シーズンから「横浜ベイスターズ」に改称した球団は、その名のとおり、夜空に見上げる希望の星だった。
阿部が続ける。
「世田谷にあった独身寮など、都内各所の不動産を次々と売っていきました。大手町の本社は自社ビルでしたが、それさえも売って店子として入り直したりしました。あらゆることをしながら、最後まで守り通した“玉”がベイスターズだったんです。
しかし最後には、『手放さざるをえない。TBSさんに売ろう』ということになって……。当時の中部(慶次郎)社長が残念がったのはもちろんのこと、いち社員である私自身にとっても非常に悲しい出来事でした」
マルハは経営路線を漁業から水産商事へと切り替え、やがて総合食品企業へと生まれ変わっていく。2007年にはニチロと経営統合し、マルハニチロとして歩みだした。
その後、事業再編と統合によるシナジーは次第に効果を示し、経営面は回復。2018年3月期は、両社統合後の最高純益を更新している。
マルハニチロが乗り出したブランディング戦略
次の一手として重要施策に位置づけられたのが、ブランディング戦略だった。統合に伴って生じる内的な課題の解消にはメドがついた。今後は外に目を向け、マルハニチロというブランドの価値向上に取り組むことになったのだ。
と同時に、社内のインナーコミュニケーションも、旧マルハ・旧ニチロ間の“壁”を壊すという第1ステージから、より一体感のある組織になるための第2ステージへとステップアップするタイミングを迎えていた。
阿部は社内報を取り出すと、2018年8~10月に行われたというアンケートの結果を見せてくれた。ブランディング推進のために必要な施策のアイデアを社員から募集したのだ。
その結果、1位の「施設・店舗」とほぼ同じ水準で支持を集めて2位に入ったのが「スポーツ」だった。プロスポーツチームやアスリートへの協賛に加え、スポーツ大会を自ら主催する案などが寄せられた。
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