「ボヘミアン・ラプソディ」で指摘されない視点

映画で描かれなかった同性愛者への強い偏見

HIV流行に対する政府と世間のばかげた反応が、1980年代にHIV陽性と診断された多くの男女とマーキュリーの人生の扉を閉ざすことにつながった(写真:VladOrlov/iStock)

<希代のボーカリストがどれほど社会から、そして人から疎外され罰せられていたか、観客はそれを知らされるべきだった>

今年のアカデミー賞で注目を集めたのが、伝説のバンド「クイーン」のリードボーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞を取れるかどうかだった(受賞したのは『グリーンブック』だったが)。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら

『ボヘミアン・ラプソディ』は賛否両論分かれる映画だ。同性愛への嫌悪や偏見が見られるという批判がつきまとい、監督のブライアン・シンガーは、過去の強姦と性的虐待で告発された。

だが同性愛の歴史研究者として、私が取り上げたいのは別の視点だ。この映画から明らかに抜け落ちている悲劇の歴史だ。

マーキュリーは、1980年代にHIV陽性と診断された多くの男女と同様に、病だけでなく政府の失策、そして世間からの軽蔑の犠牲となった。HIV流行に対する政府と世間のばかげた反応が、マーキュリーの人生の扉を閉ざすことにつながったのだ。

それらは一切、映画には描かれていない。

1980年代初めにアメリカやイギリスなどの一部の都市でHIVの流行が初めて確認された時、各国政府は感染拡大を防ぐ対応をほとんど取らなかった。

医師たちは当初、感染が特定の人々の集団で見られると指摘していた。それは病気とは別の理由ですでに偏見の対象となっていた集団だった。つまり男性同性愛者に麻薬常習者、そしてハイチ系の人々(これは人種差別が原因)だ。

「HIVはゲイがかかる病気」という偏った認識

当局の当初の対応が偏見まみれだったのは、多くは「自己責任」で感染したとの考えがあったからだ。男性同性愛者が感染したのは、数多くの相手と性行為をするという危険な行動を取るせいだ、というわけだ。つまりHIVはほとんどの異性愛者にとっては脅威とならないという理屈だ。医療関係者もHIVはゲイがかかるものという偏った認識を持っており、HIVは当初、「ゲイ関連免疫不全」の頭文字を取った「GRID」と名付けられたほどだった。

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