「ボヘミアン・ラプソディ」で指摘されない視点 映画で描かれなかった同性愛者への強い偏見
言うまでもなくそれは科学的に誤っていた。安全にセックスするにはどうしたらいいかについて十分な啓蒙活動が行われない限り、そしてパートナーの数が多ければ多いほど、何であれ性感染症にかかるリスクは高くなる。男性同性愛者が特にエイズにかかりやすいような性行為をしていたわけではない。1970〜1980年代にかけて、多くの異性愛者も複数のパートナーと性行為を行った。だがたまたま当初、一部のゲイ男性のコミュニティに被害が多く出たというだけだ。
政府も一般大衆も、HIV感染者が死に向かうのを黙って放置した。HIVの問題が深刻化して2年間、アメリカ政府がエイズ研究に充てた時間は、シカゴ周辺で起きた連続毒殺事件の解明のために充てられた時間より短かったとの指摘もある。連続毒殺事件の犠牲者が7人だったのに対し、それまでにエイズで命を落とした人はアメリカだけで数百人に上っていたのにも関わらずだ。
イギリスで最初の症例が報告されたのは1981年だったが、検査薬は1985年まで存在しなかったし、本当に効果のある治療薬の登場は1996年まで待たなければならなかった。1985年に当時のマーガレット・サッチャー英首相は、安全なセックスを広めるための政府のキャンペーンをやめさせようとした。ティーンエージャーの性行為を助長するというのがその理由で、サッチャーは若者に感染の危険はないとまで主張した。
まさにこれは、公衆衛生上の深刻な問題であり、第1次世界大戦の死者に匹敵する3600万人を死に追いやることとなる感染症に対するばかげた反応だった。
こうした状況がマーキュリーを、そして他の性的少数者である男性たちを恐るべき状況へと追い込んだ。きちんとした感染予防のための情報が得られず、研究も遅れるなか、彼らは必要以上にウイルスと接触する危険にさらされた。1987年にエイズと診断されたマーキュリーは、多剤併用療法の開発を待つことはできなかった。もし間に合っていれば、死なずにすんだはずだ。
映画は偏見ない人がほとんど
マーキュリーが直面したのは死に至る病ばかりでなく、HIV感染者やエイズ患者への偏見も激しかった。診断の2年前に行われたロサンゼルス・タイムズの世論調査では、アメリカ人の半数以上がHIV感染者を隔離して欲しいと答え、同性愛者の集まるバーの閉鎖を求める人は42%に上った。マーキュリーは病が重くなるなかでも音楽を作り続けようと戦ったが、当時人気だったバンド、スキッド・ロウのリードボーカリストは「エイズはおかまをぶっ殺す」と書いたTシャツを着ていた。
だがそうした話は映画には出てこない。『ボヘミアン・ラプソディ』の登場人物の中に、強い同性愛者への偏見を持つ者はいない。同性愛への嫌悪が描かれたとしても、それはオブラートに包まれた形で出てくる。例えばバンド仲間がマーキュリーに、クイーンは絶対にヴィレッジ・ピープルにはならないと言うシーンがそれだ。ヴィレッジ・ピープルはゲイらしさを前面に出したグループだった。
現実には、マーキュリーは同性愛者への偏見にさらされた。生前、公にカミングアウトすることはなかったが、その理由は明白だ。88年にイギリスでは、いわゆる「反同性愛法」が施行された。同性愛を広めてはならず、同性カップルが作る家族は「偽りの」家族だとされた。この法律が撤廃されるまで10年以上かかった。