「ボヘミアン・ラプソディ」で指摘されない視点 映画で描かれなかった同性愛者への強い偏見

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この時代のグラムロックやディスコミュージックシーンでは性的少数者のイメージがもてはやされたが、その前提にあったのは「本当は誰もが異性愛者であること」だった。デヴィッド・ボウイは1972年、メディアに対し自分は性的少数者だと語っていたが、1983年にはこれを撤回。「自分が両性愛者だと」述べたのは「これまでで最大の過ち」だったと述べた。

一部メンバーがゲイであることを明らかにして胸を張っていたヴィレッジ・ピープルだけは例外だったが、それが彼らの人気の原因だったわけではない。異性愛者が多数を占める大衆がその点にまともに向き合おうとしなかっただけだ。

胸に手を当てて考えてみて欲しい。子ども時代に「Y.M.C.A.」を踊った時、それがゲイカルチャーの歌だということを知っていただろうか。たぶん答えはノーだろう。

クイーンについても同じだ。コンサートに集まり「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」を演奏する彼らを見ていたロックファンのうち、マーキュリーが単なるロックの神であるだけでなく、性的少数者にとっての偶像でもあることを知っていた人がどのくらいいたことか。多くはなかったはずだ。

もっと実像に迫る伝記映画を

80年代、マーキュリーはグラムロック的ないでたちをやめてゲイの世界で人気のスタイルに髪をカットし、黒い革ジャンを着てゴージャスな口ひげを生やすようになった。ファンの受けは悪く、ステージにカミソリを投げる人々もいた。

マーキュリーが1991年に死んだ時、クイーンのメンバーたちは放蕩が過ぎてエイズにかかったとする当時の報道に反論するためにテレビのインタビューに答える必要があると考えた。

今回の映画でも、あたかも寿命を縮めたのはマーキュリー自身の放蕩だったかのような描き方がされている。

映画では、マーキュリーはソロアルバム制作のためにバンドを放り出し、ボーイフレンドとともにミュンヘンに赴く。このボーイフレンドこそ、マーキュリーを放蕩に導いた人物だ。そこに元ガールフレンドがやってきてマーキュリーを救い出し、彼はクイーンに戻る。だが時すでに遅し。彼はHIVに感染していた。

現実ではマーキュリーはバンドとたもとを分かったことはないし、ソロアルバムを制作したのもクイーンの中で彼が最初ではない。それにもちろん、放蕩がエイズの原因だったわけでもない。

いつの日か、別の監督がもっと出来のいいマーキュリーの伝記映画をーー彼が生きた歴史的な瞬間を、そして彼が向き合った困難を正確に描いた作品をーー作ってくれるといいのだが。それだけの価値はあるはずだ。

(翻訳:村井裕美)

「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部

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