西尾久美子
私は、ここ数年、京都の「舞妓さん」たちの育成について、経営学の視点から調査研究を重ねてきました。今の京都の舞妓さんは、もともと花街にゆかりはなく、中学卒業後自らの意思で「舞妓さんになろう」と決心し、花街の扉をたたいた妓が大半です。そんな彼女たちが厳しい伝統文化の中でどのように育成され、プロフェッショナルとして成長するのかを知りたくて、実際に多くの舞妓さんや京都花街の関係者に会ってお話をきき、それを本や論文などにまとめました。
実際に10代半ばの少女たちが、舞妓さんとして周囲との関係を作り、支えられ、また後輩たちへ助言をしていく姿を多く見るなかで、彼女たちが「あっ」と何かをつかみとる瞬間に数多く立ち会うことができました。今やっていることと過去の経験をむすびつけ、自分なりにそれらの意味や意義をみつけて「そうなんや」と納得しているのです。そして、この力が伸びていくと、将来の不安にめげそうになりながらも、若いからこそ必死に模索を続け努力し、舞妓さんとして、またプロとしての自分の「芯」を作ることができるようになるのです。
京都花街では、運がいいと道を行く舞妓さんの姿を目にすることができる。
本連載では、舞妓さんたちが何か「あっ」を発見するために絶対不可欠な、育成される過程で周囲から教えられる「言葉」を紹介していきます。現代の若者にはとても耐えられないと思われるような厳しい修業を経て舞妓さんになる若い少女たちは、自分で自分を勇気づけモチベーションを高める「励み」、周囲の状況と折り合いをつけ過剰に傷つかないようにする「癒し」、そして関係性の中で信頼を築き自分の役割を知覚する「気づき」を促す、含蓄のあるよい言葉を周囲の人たちから教えられ、それらを自分のものとして歩みをつづけているのです。350年続く伝統産業である「京都花街」が、現代の10代半ばの少女たちを舞妓さんというプロフェッショナルに育成できる秘密は、すぐれた育成の仕組みだけでなく、個人が自律的にキャリアを作ることを促す、まるでオマジナイのような効果をもつ言葉の力にもあるではないかと思います。
京ことばは、婉曲的に相手に理解してもらうことを促すとよくいわれます。1000年の都と呼ばれる京都は、非常に多くの人たちが訪れ定着し作られた街であるため、歴史的に、多様な立場の人々が対立をさけつつ自分の主張をきちんとすることが求められてきた結果、このような婉曲的な表現が好まれるようになったといえます。
とくにサービス業である花街は、顧客の要望をそれとなくつかみ、顧客への直接的な指示などを避けつつも無理無体な注文を排除しようとするために、言葉に磨きをかけただろうことは想像に難くありません。
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