「ペットとの別離」をマンガと小説から読み解く 「グーグーだって猫である」を読みましたか?

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大島弓子『グー グーだって猫である』(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)

幸い治療はうまくいく。ある治療の終了後、大島は解放感とともに病院内を散歩する。それは鳥のついばむ桜の花がくるくると落ちてくる、「てんごく」のような春の午後だった。「わたし」は命があるよろこびに包まれ、「てんごく」を歩いていた! しかしそのときふと、彼女は大学病院内の実験動物の慰霊碑を発見する。そして自分の助かった命と地続きのところに、動物たちの無数の犠牲と苦痛があることに気づいてしまう。

「てんごくなんかなかった ぢごくだね ぢごく ぢごくだったね」。 生と死、美しい春のなかに口を広げる残酷さ、人間と動物の命の扱われ方の落差。死に近づき、そして野良猫を含む猫たちとの生活を経験したことで、大島は死や悲哀への感性をいっそう研ぎ澄ませていったのだろう。

最終話で描かれる、愛すべきグーグーとの別れは確かにつらい。でもそれは特別な、やさしいお別れだ。

バラの花のごとく私たちの心に咲き続ける

かつて 「わたし」はサバの眠る霊廟を訪れたとき、隣接するバラ園の花々を見てこのように思っていた。「考えてみれば ここに幾百とならぶ小さな骨つぼはみんな 飼い主の心にバラのように咲いているのだ」と。

私たちの犬たちや猫たちも、きっと死してなお、バラの花のごとく私たちの心に咲き続けるはずである。たとえこの世が死と別離と残酷さに満ちた「ぢごく」だったとしても、そのバラの花の「てんごく」のような美しさは誰にも奪うことができない。その美しさをもし、あなたが知ることができたのだとしたら、それはやはりとても特別で、豊かなことなのではないか― 。『 グーグーだって猫である』は、最後にそっと耳元で、そうささやいてくれるような作品である。

このような現代短歌がある。 「犬はさきに死ぬ みじかい命のかわいい生き物 自分はいつか死ぬ みじかい命のかわいい生き物」 (フラワーしげる『ビットとデシベル』収録)――“ものの哀れ”を鋭く見据えた一首である。

かわいい、というのは悲しい。まさにいま私の横にいる犬も、10年後の世界にはもういない。私もいずれこの世界から去る。犬も、猫も、私も、かわいさも悲しみも、移ろいゆく世界のほんの一瞬にすぎず、それらはすべて消えてゆく。でもだからこそ、この一瞬を愛してみたいと思ってしまうのは、たぶんきっと私たち人間の、かわいくて悲しい悪あがきなのだろう。

清水 さやか 共立女子大学非常勤講師
しみず さやか / Sayaka Shimizu

東京大学大学院 人文社会系研究科博士課程満期退学。 20世紀フランス語文学専攻。 2019年度日本フランス語フランス文学会 学会奨励賞受賞。 8歳半のチワワを5年半飼っている。

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