「ペットとの別離」をマンガと小説から読み解く 「グーグーだって猫である」を読みましたか?

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『東京人』編集長の愛犬ガク(左)と、友だちの小春。雑司ヶ谷墓地にて(写真:『東京人』編集部)
愛する犬や猫との別れは、誰にとってもつらく、悲しい。 私たちは、ペットとの別れをどのように受け止めればいいのか――。 漫画と小説から3つの作品を取り上げ、犬や猫を飼い、愛することを問うてみる。

残された者の喪失感は、幸福だったことのあかし

いつからだろう、自分の飼い犬のあどけない寝顔を眺めていると、決まって頭に 「かなし」という古語がよぎるようになった。そのふるい形容詞ほど、私のこの犬に対する気持ちをよく表せる語はないように思う。

「かなし」には2種類の漢字を充てることができる。しみじみと可愛く、いとおしいという意味の、「愛し(かなし)」。 現代語にも通じる、 「悲(かな)し」 。そして私は、もう若くはないこの小さな犬を見ていると、どうしても「愛」と「悲」の両方の文字とともに、その3音の響きを想起してしまうのである。

「かなし」におけるこの2つの漢字の共存は、愛と悲しみの必然的な結びつきを物語っているように思えてならない。誰かを深く愛してしまったとき、その存在と過ごす時間が永遠であることを私たちはどこかで願うものだ。

本記事は『東京人』2019年4月号(3月1日発売)より一部を転載しています(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)

でも恐ろしいことに、誰もがいつかは愛するものと別れる運命にある。別離は当事者の気持ちの変化によってもたらされることもあるが、そうでなくても避けられはしまい。なぜなら、私たちの生命は有限だからだ。「死がふたりを分かつまで」――裏返せば、死はふたりを分かつ。とすれば、愛するということは、未来の別離を無意識のうちに承諾し、やがて訪れる悲しみの経験に自らをすすんで差し出すという、まことに過酷な営みを意味しているのではないか。

その死はいつ訪れるかはわからない。人間同士であれば、幸運な場合は何十年も、いやもしかすると100年近く猶予があるだろう。けれど、もし愛した存在が犬や猫であれば? 彼らはいつまでも幼子のように愛らしいが、人間の4倍か5倍のスピードで年をとり、たった十数年でこの世を去ってゆく。犬や猫と暮らし、彼らをひとたび愛せば、毎日少しずつ近づいてくる別れのときを意識せずにいることは難しい。

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