11月中旬の深夜、ふと目覚めた康弘はベッド近くでうずくまる玲子を見つけた。抱き起こそうとしたが思うようにいかず、老々介護の厳しい現実に直面する。愛妻を緩和ケア病棟に入れる決断を迫られた。
家族で触れて、さすって、声かけをした時間
「お父さんに『好き!』って言いました?」
玲子が亡くなる2日前の夕方、今井は緩和ケア病棟で彼女を見舞った際、耳元でそうささやいた。当日昼間から話せなくなり、目を閉じていた玲子だが、今井の声には黙ったまま首を左右に小さく振ってみせたという。
だが、今井が面会した翌日に容態が急変。夕方には康弘と、娘と息子両方の家族が玲子のベッドを囲んだ。玲子が好きなポール・モーリアや、ニニ・ロッソの静かな旋律が流れるなか、それぞれが彼女の手を握り、腕や脚をさすり、「お母さん」「おばあちゃん」と声かけを続けた。
玲子が約3年前に意思表明書に書いた通りに、家族だけで迎える時間になった。いずれも看取り士が提案する「幸せに看取るための4つの作法」を踏まえてはいるが、今井が事前に教えたものではない。
夫の康弘は淡々と語ってくれた。
「元々は今井さんが『手をつないであげてください』と教えてくれたことから、(看取り時も)どれも自然と生まれたものでした。今振り返ると、妻が倒れる前に(夫として)もっとできることがあったかなという想いもありますが、みんなに囲まれて(妻の希望通りの)見事な最期でした」
確かに親友への「交際終了」手紙など、「死に方は生き方である」と体現するような幕引きだった。
ちなみに今井は、まだ看取り士のことがあまり知られていない現状を踏まえ、自身が看取り士でもあることを、玲子をはじめ山崎家の人たちには玲子が亡くなるまで明かさなかった。あくまでも1人の訪問看護師として、利用者や家族に応じて、看取り士が重視する触れ合いを現場ごとにうながしていた。
今井の思いは山岸家の人たちにも自然と引きつがれ、手の温もりにあふれた看取りの時間が生まれて、今回の取材にもつながっている。
結局、恋人つなぎの散歩は実現したが、玲子が「好き」という言葉を康弘にじかに伝えることはなかった。
しかし、玲子が康弘に宛てて、ノートに2017年の8月21日付で「あの世へ行っても、ずうっと感謝し続けています」などと鉛筆で書いた文章が、後日見つかった。
(=敬称略=)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら