「エースの重圧」に負けた城彰二、W杯の苦い記憶 食事も摂れず点滴打って挑んだ若き点取り屋

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ジョホールバルのイラン戦は、城が日本代表に入って初めて大仕事をした記念すべきゲームでもあった。

中山の先制点で1点をリードしながら後半に入ってイランの強力2トップであるアジジとダエイに連続ゴールを決められ、絶体絶命の窮地に追い込まれた後半31分、中田の左からのクロスを頭で合わせたのが背番号18をつけていた22歳の若武者だった。この起死回生の同点弾がなければ、岡野雅行(J3・鳥取GM)の延長Vゴールも生まれてはいなかっただろう。

城 彰二(じょう・しょうじ)/元サッカー日本代表FW、現サッカー解説者。1994年、Jリーグの現ジェフユナイテッド市原・千葉入団。1996年にはアトランタ五輪代表、1997年日本A代表メンバーとしてW杯悲願の初出場に貢献。1998年エースストライカーとしてフランスW杯に出場。現在はサッカー解説者として活躍する傍らサッカー普及活動にも注力(撮影:梅谷秀司)

「(後半18分に呂比須ワグナー(J2・新潟元監督)とともに交代を命じられたとき)、僕はもう頭が真っ白。

ウォーミングアップもしてなかったから。

岡田さんは呂比須をゴンさんと交代して先に入れるというゲームプランを持っていたけど、自分とカズさんを代えることは考えていなかった。

にもかかわらず『咄嗟に呼んでしまった』と。

『とにかく点を取らなきゃいけないから、いつの間にかお前を呼んでいた』と後から聞きました。

岡田さんとは、自分がジェフ市原(現・千葉)に入った1年目にコーチと新人選手と間柄で、相当にしごかれた。

猛練習で有名な鹿児島実業高校よりもきつかったくらいです(苦笑)。自分のプロとしての基礎を作ってくれた人に日本の命運を左右する場面で『点を取れ』と送り出されたんだから、点を取るしかなかった」と彼は歴史的ゴールを改めて振り返ってくれた。

日本サッカーの歴史と伝統

ドーハ組の森保一現日本代表監督も「日本には日本ならでは歴史と伝統がある」としばしば語っているが、彼ら先人たちの働きがあってこそ、今がある。

そこは、ロシアでベスト16入りしたメンバーも、これから2019年アジアカップ(UAE)でアジア王者を獲りにいこうとしている若い世代にも強く認識してほしい点だ。

1998年生まれの堂安律(オランダ1部・フローニンゲン)や冨安健洋(ベルギー1部・シントトロイデン)らはこうした名場面をもちろんリアルタイムでは見ていないだろうが、今一度、日本代表の足跡を自身の中に刻み込んで、大舞台に挑んでもらいたいものである。

(文中一部敬称略)

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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