塩と砂糖を見分けられない人の固すぎる思考 「知識」は時にあなたの足かせになる
「知識は力なり」といったのはイギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561~1626年)だった。 日本でいえば、徳川家康(1542~1616年)と同じぐらいの時代に生きたベーコンの言葉は世界中の人々に影響を与え、近代科学の精神を体現した最初の思想家ともいわれている。
ベーコンの考えに基づいて、当時の自然科学の研究者たちはいくつかの画期的な発見もしたが、社会で広く理解された意味としては「知識=すでにある情報を覚えること」が重要だという程度のものになってしまった。
ベーコンのあとに、フランスの哲学者・数学者パスカル(1623~1662年)が、 かの有名な「人間は、考える葦(あし)である」という言葉を残した。知識よりも考える力のほうが大事だという話で、これも後世に大きな影響を与えた。
「知識は力なり」
「人間は、考える葦(あし)である」
どちらの言葉も真理を突いているのだが、「知識」と「思考」を両立しようとすると、 なかなかうまくいかない。特に日本では知識ばかりが優先されて、思考が軽んじられる時代が長く続いた。明治時代に入り、形の上では欧米の教育制度を参考にして、日本でも初等教育が整備されたが、その内容は知識を教え込むことが中心だった。何も知らない子どもたちには、 まず知識を与えることが重要という考え方である。
ここに大きな間違いが潜んでいる。
本来であれば、知識を詰め込んだら次の段階として、「思考力」を育てるプロセスが始まるはずだが、そうはならなかった。中等教育以降も知識が最重要視され、考える力を養う場は生まれなかった。
知識は必ずしも力ではない
実はこれは当然の成り行きである。知識には思考を妨げるという弊害があるのだ。 知識とはいわば、「他人がすでに考えた結果」であり、それを蓄えるほどに、自分では考えなくなる。逆に、知識がない人ほど自分で考えるしかなくなる。
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