さて、昭和から引き継いだ大バブルの崩壊後、日本経済はいずれもアメリカ製の2つのバブルに巻き込まれる。言うまでもなくアメリカは経済の規模が大きいし、特に日本は国自体がアメリカの実質支配子会社のようなものなので、同国で起きる現象の影響を大きく受けるのはやむをえない。
巻き込まれたバブルは、1990年代の後半に生じて2000年代の初頭に潰れた「ネットバブル」と、2007年から崩れて2008年のリーマンショックでパニックのピークを迎えた「サブプライムバブル」だった。
ネットバブルにあっても、過剰な信用の拡大があったことは間違いない。だが、この時は主に株式に対する投資の形で資金の供給が行われて、「インターネットビジネスはすごい!(はずだ……)」という神話がシンプルに出回ったバブルだった。アメリカのナスダックに上場されたネット企業の株価がバブル的に形成されただけで、ローンの担保になった資産の価格が崩れたわけではなかったため、バブルそのものはそこそこに大きかったが、その崩壊の後遺症は比較的軽かった。
日本でも「ネット企業」あるいは「IT企業」と称された会社の株価はとんでもない値を付けた。代表銘柄は、ソフトバンクと光通信だっただろうか。また、いわゆるIT企業が数多く株式を公開して、一時的には人気を博した。当時のネットバブルの潮流に乗った会社といえば、その後最大かつ代表的な銘柄になったソフトバンクや、楽天、サイバーエージェントなどだ。ダメになった会社も多かったが、その後に発展した会社があった点で平成初期のバブルよりもよかったかもしれない。
ネットバブル崩壊が日本経済に及ぼした「後遺症」
しかし、少々怪しそうなネット企業でもIPO(株式公開)できるような多少山っ気を含んだ株式市場は、2006年の年初に起こったライブドアへの強制捜査と当時同社社長だった堀江貴文氏の逮捕ですっかり機能停止してしまった。結果的に同社には、考えられていたほど深刻で大規模な不正はなかったのだが、この事件を契機にベンチャー企業が登場しにくい雰囲気ができてしまったことは、日本の経済にとって大きな不幸だった。
ネットバブルの崩壊は、アメリカの投資家にとってこそ深刻な事態のはずだった。だが、当時のアラン・グリーンスパンFRB議長による金融緩和的な政策の効果もあって、2005年くらいにはマイナス要素が十分消化されて、同国は不動産ブームを迎えるに至る。この時代、特に信用グレードが低い「サブプライム」と呼ばれる住宅ローンの利用と借金を背景とした不動産投資が拡大するなどの背景もあり、不動産バブルが起こる。
不動産ローンを証券化した商品などが不動産ローンのリスクを実態よりも小さく見せたことなどが、バブルの生成を後押しした。こうした要因で形成された同国の不動産価格がバブルであることがはっきりして、銀行などの不動産を裏付けとするローンの価値が怪しくなってきたことで生じたのが2007年に話題になった「サブプライム問題」である。これは、翌2008年のリーマンショック、さらには世界金融危機へと続いていく。
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