「欧米は個人主義、日本は集団主義」は大嘘だ 「忖度」はアメリカでも日常茶飯事な理由

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柴山:アメリカ人はそういう規律訓練装置を発明するのが抜群にうまいと思いますね。個人的自由の裏側で、徹底した社会的訓育が行われている。近代的主体ってそういうことなんで、その意味でもアメリカは近代のフロントランナーです。

中野:先の大戦で日本が負けた理由はそこですよ。しかもそれを個人主義だと周囲に思わせている。

佐藤:国民の文化的バックグラウンドが多種多様なだけに、「どんなヤツでも制御できる規律」が必要になります。行き着く先は「エアコンの自由」。それを自己責任で選び取ったかのごとく構えるのが、アメリカの個人主義なのです。

西洋的統制と日本的統制

:教育史学者の江森一郎氏に『体罰の社会史』という本がありますが、それによると日本では昭和の初めごろ、軍事教練が学校に入ってくるまで体罰は決して一般的ではなかったそうです。武士でも子どもを殴ったりはしなかったんです。逆に西洋の小学校では、昔から教室の後ろにムチが置いてあった。

なぜ日本では体罰なしで40人学級がうまく運営できるのか。実は小学校の先生は生徒との間に心理的絆や一体感を最初にうまく作り、子どもたちが信頼を裏切るような行為をすると、その絆を切ってしまうぞ、と暗黙裡に半ば脅してやめさせているんです。たとえば、子どもたちがあまりにもいうことを聞かないとき、教師がよく使う手は、子どもたちに「もういい、勝手にしなさい」と言って職員室に引き上げてしまうというものです。そうなると子どもたちは、徐々に不安になり、シュンとなって、「皆で先生に謝りに行こうよ」ということになる。

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中野:天の岩戸だ。

:心理的な絆を先に作り、言うことを聞かないとその絆が損なわれますよと暗黙裡に語り、子どもを統制しようとするこのような手法は、日本ではよく見られます。どの世代の人にもそういう経験がある。

たとえば親は好き嫌いをする子に野菜を食べさせるために、「じゃあもう食べなくいい」とお皿を引き上げてしまう。これも心理的絆を切るという脅しなんですね。企業でも昭和の時代には「ノミニケーション」などといって、新人が来たらまず飲みに行き、先に親密な関係性を作ってから指導するというやり方をしてきた。ただそういう手法は欧米人には理解しにくい。「伝統的な技芸だ」とアメリカから来た教育学者が感心していました。

西洋の場合、法律や規則を作って外面的に統制するけれども、日本の場合は集団の和を大切にすることを教え、共感力を利用して内面的に統制しようとする。文化によって統制の手段が違うんです。だから日本の教育においては「人の気持ちがわかるようになる」という共感能力、感情移入能力の獲得が第一の目標になっています。

中野:おっしゃるとおり、日本では人に共感する能力が高いことが、人格的に成長している証しとなっている。その意味では日本的見方からすれば、日本人はほかの外国人より人として高い位置にあるはずなんですよね。それなのに「日本人は遅れている。個が確立されていない」となぜ自分たちから言うのか、不思議ですね。

久保田 正志 ライター

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くぼた まさし / Masashi Kubota

1960年東京都品川区生まれ。経済系フリーライターとしてプレジデント社・東洋経済新報社・朝日新聞出版社などで取材・執筆活動を行っている。著書に『価格.com 賢者の買い物』(日刊スポーツ出版)。ペンネームで小説、脚本等フィクション作品も手がけている。

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