ショートからの建設的なアドバイス
新天地への異動は、突然言い渡された。
2012年11月、川越東高校野球部を率いていた阿井英二郎監督が、翌年から日本ハムのヘッドコーチに就任することが決定。系列の星野高校ソフトボール部で女子生徒を指導し、15度の全国制覇を達成した渡辺努が後任に指名された。
川越東は偏差値60台後半を誇る、私学の進学校だ。2005年、ヤクルトで投手として活躍した阿井が野球部の監督に就任すると強化が進み、10年夏には同校史上最高の埼玉大会ベスト4に進出している。
高校球児にとって、夏の大会は3年間の集大成だ。渡辺は2013年4月に監督就任し、7月には甲子園につながる埼玉大会が開幕する。限られた時間でチームを強化するためには、異動後に動き始めるのでは遅すぎる――。
2013年1月某日、渡辺は3カ月後に着任する川越東高校野球部のグラウンドを訪れた。当時は星野高校ソフトボール部を指導していたが、空いた時間に川越東の野球部に訪れ、部員の技量や性格を把握しようと努めた。
前日の雨で、土のグラウンドはぬかるんでいた。実戦形式の練習をしていると、三塁手がゴロのボールを弾く。ガックリしてボールを拾いに行かなかったが、すぐに捕球して一塁に投げたとしても、タイミング的にはセーフだった。
「ミスをするな!」「落ち込んでいる暇はないぞ!」
肩を落とす三塁手に、周囲が叱咤の声をかける。しかし、ショートから聞こえたアドバイスはもっと建設的な内容だった。
「走者が走れていなかったから、すぐに投げればアウトになる可能性が十分にあったぞ」
ぬかるんだ地面で普段よりスピードの落ちていたランナーの姿を、ショートを守る高梨公輔の目はとらえていた。優れた観察眼を見て、ゲームキャプテンに指名することを渡辺は即断する。
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