試合後、3年生だけを集めて労をねぎらった。
「1対0で負けるのも、10対0で負けるのも同じ。勝てなかったのは監督の責任だ。今までよくやってくれた。いろいろ大変だったと思うけど、協力してくれてありがとう」
一方、別に集めた1、2年生たちには、試合の具体的内容には触れていない。浦和学院の先発投手は、2年生の小島和哉だった。川越東の先発メンバーには2年生が多く、2014年の甲子園を目指すうえで、小島は倒さなければならない相手だ。だからこそ、渡辺はあえて試合を総括しなかった。
「『こんなに差がある』と言っても、モチベーションにはならない。敗因を整理できるまでは、無駄に言っても仕方がない。小島君は来年もいる。次の年にも影響するので、いろいろ踏まえて話さなければならない」
短期間でチームがまとまり、決勝まで進出したことで、1、2年生は次の目標が明確になった。
「決勝まで行ったのだから、今度は最後まで勝つことが最大の目標になる。まずは挑戦権を得るために、やるべきことがある。その舞台に上がったら、去年のことを話す」
2013年の夏が終わった瞬間、次の手を打った。そうした周到な準備こそ、突然の異動にもかかわらず、渡辺が川越東を史上最高の成績に導くことができた要因だろう。
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