監督に正式就任する前から週に1、2度はグラウンドに足を運び、選手には特徴を自己分析したカルテを作成するよう頼んだ。2013年4月からチームを率いるようになり、まず行ったのは認識のすり合わせだ。練習を見て、対話して、選手たちが自身の特徴を把握できているかを確認した。
「この部分は、君が思っているほどプラスにはなっていない。でも、この部分ならやれる」。
そうやって監督と選手が認識のズレを埋め合わせ、チームに貢献できる部分を明確にしていった。
阿井の残した遺産
就任当初、部員たちは最後の夏に向けてレギュラー争いを繰り広げていた。そんなチーム状況で渡辺は、ある意味で賭けに出る。
「夏までに時間がない。何十人もの選手を取っ替え、引っ替え、起用している余裕はないから、メンバーをある程度絞って練習試合をやりたい」
渡辺の提案に3年生たちは協力を申し出て、サポートメンバーに回ってくれる者も現れた。レギュラーの道が途絶えてやる気をなくす可能性を憂慮していたものの、杞憂だった。控えに回った3年生は遅くまで練習に残り、レギュラーメンバーのためにボールをトスし、マシーンにセットした。渡辺の分析を手伝ってくれる者も現れた。
その精神は、阿井の残した遺産だった。川越東の野球部では毎朝の草むしりや掃除に始まり、勉強をみっちりした後に野球の練習を行う。懸命な自己修練を日々重ね、チームで勝利を目指すことを教育されていた。カリスマ性の高い阿井がチームを去る際、「最後まで頑張る」という約束を選手たちは交わしていた。
そんなチームをグラウンドで統率したのが高梨なら、普段のまとめ役となったのは主将の前川龍太郎だった。レギュラーではなかったものの、チームを積極的に牽引していた。いわゆる闘将タイプの3年生で、渡辺は大いに助けられたという。
「私が理屈で考えるタイプなので、選手は話を理解しようとしすぎるあまり、相手と戦えなくなることがある。頭で考えてばかりでは勢いに乗れない。前川は私の話が終わると『さあ、戦おう!』とモードを変えてくれて、非常に助かった」
それぞれが個性を発揮し、川越東は2013年夏の埼玉大会で快進撃を見せた。4回戦から3試合続けてふたケタ得点で快勝し、準決勝では市立川口を下して初めての決勝に進出する。最後は春のセンバツを制した浦和学院に1対16で敗れたが、創部以来、最高の成績で夏の大会を戦い終えた。
この試合の総括の仕方に、渡辺の名将ぶりが潜んでいる。
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