日常的には、筆者はできればプロにリスペクトされるプロになりたいと思っています。こんな駄文を書き散らしていますが、一般受けよりプロ受けがいいと思いますし、メディアで名前が売れていても、業界では「え、あの人うちの会社にいたの? うーん、メディアに出るまでこの世界では無名だったね」と言われる人は多く、一緒に仕事したら最低だったという話はよくあります。
スキルもないのに口ばっかり、とディスられたら筆者なら泣いてしまいます。目立ちすぎても目立たなすぎてもいい仕事はできませんが、インターネッツでソーシャルな世の中では、極秘任務遂行において匿名性はラグジュアリーだと思います。
質問者の方は、30代とのことですが、もしもご自分を若くもなく、恵まれているしハングリーでもないと思われるのであれば、やはり才能のあるハングリーな若者を見つけ出し、共に仕事をすることが現実的ではないでしょうか? 本田宗一郎になれなくても藤沢武夫になれるかもしれません。祭りに参加するのは若い人に任せましょう。
特に質問者の方はビッグ4の優秀な税理士でもあり、素養は十分かと思います。ちまたのロールモデルなんてクソくらえ、独自の道を模索されてはいかがでしょうか? 人生いろいろ、みんな違って、みんないい、です。
祖父の従軍中の言葉
ハングリーではない筆者ですが、平和な世の中で、大仕事の順番が回ってきたときのために準備はしておきたいと思っています。私事で恐縮ですが、筆者の祖父は、新卒で銀行に入行後に徴兵されて戦争に行き、その後復員し、いくつかの職を経て某社の役員を務め、定年を過ぎてから試験を受けて税理士になりました。祖父の従軍中の記録を引用します。
「昼間の訓練は肉体的には大変だが、精神的には愛国精神で十分対応できた。夕食後の軍歌演習、点呼これから消灯までの間が生き地獄だ。一人のミスでも全員が制裁を受けることになる。方法はビンタ、往復ビンタ、帯革(ベルト)によるビンタ。靴の手入れが悪いと靴をひもで結んで首から下げさせ、他の班を回らせる。」
軍隊時代の祖父の写真を見るとリアル水木しげる漫画ですが、なんというか、ちょっと前の日本人がこうだったことを思うと、イルミネーションの輝く夜を歩く私たちは、とても恵まれていて、いろんなことはたいしたことないのかもしれません。明日もちょっとだけ世界をよくするために頑張りましょう。
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