最初に、「塩野さんもかつてはリスキーな人生を送り、刺激に満ちた世界を選好されていたと思います」と書かれていますが、これは少し事実と異なります。そもそも筆者は過度にチキンであり、KYグランプリ(気の弱さ)入り確実なので、リスクや刺激を選択したわけではありません。
新卒で外資系金融機関に入ったのも、志望していた日本のメーカーが入れてくれなかったからです。この辺は拙著『リアルスタートアップ』にも書いています。またその後の転職も、東京オフィスでの仕事が海外に移ったりして、このままではいつか自分の職場がなくなると思ったことや、ほかの職場では自分が圧倒的にバカ過ぎて、「この頭よい競争の中では自分はついていけない」と思ったからです。筆者が20代のときにインタビューされた際の記事を読むとそう述べているので、当時もそう思っていたのでしょう。
ハングリーさは才能
講演などでも申し上げていますが、筆者の新卒から20代のキャリア選考は、「どうにか食べていかないと」という恐怖感からのアイテム集めの旅でした。『20代のための「キャリア」と「仕事」入門』でも強調したのですが、仕事は自己実現や世界へのインパクトの前に「食べていくため」のものだと思います。
世の中には優秀で、しかもビジュアルもよいような神に愛されし者が売るほどいる、この現実を前に人より少しでも多く何かを身に付けて、どうにか食べていけるようにしなければと思ったのです。「やっぱリスクをとってないと生きている気がしないよネ」と西麻布交差点徒歩3分以内で泡を飲んでいる人たちとは違ったわけです。そういう意味では、筆者は中2くらいから自分が変わった気はしません。
世の中、最初から「リスク、ボラティリティ、VIXが大好物です」という人は少ないように思います。一方でリスクあふれる環境を経験しているうちに、リスクをあまり感じなくなるというのはあると思います。
普通の人にとっては、転職も会社が買収されることも訴訟も、一生に一度の大イベントかもしれませんが、これを仕事にしている人にとっては、日常の「あるある」ですし、外科医にとって手術が日常なのと同様です。幸か不幸かイベントによく巻き込まれる人はいますし、恐ろしいことに人は慣れていきます。筆者はスーパーチキンですが、結果として、巨人にも食べられずに各イベントの最前列席にいたのです。
質問者の方は実業家になる夢を忘れられないとのことですが、筆者が1990年代後半のビットバレー(笑)から2000年半ばの球団買収騒動やら、今までに主にインタネットセクターの会社や起業家の祭りや栄枯盛衰を見てきて思うのは、「ハングリーさは才能」ということです。それはお勉強ができた人の共通点に「机の前に座る能力」があったことと同様です。
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