インタビューは、まさに対局のようでした。こう聞いてこう答えがあれば、次はこう尋ねようと、さまざまなシミュレーションをして臨みましたが、大概、思いどおりにいかず、苦しみ追い詰められてしまう。そのときに何とか食らいついてやろうと発した問いに意外な答えが返ってきて、さらに引き込まれてしまう。つらいけど面白い。真剣勝負の連続でした。
途中から対話に「癒やし」を感じるように
──何のために将棋を指すのか、また勝つことの意味について、毎回、執拗に迫っています。
羽生さんからも「毎回、聞いていますよね」と笑われましたが、自然とそうなってしまう。羽生さんの言葉は簡単には腹にすとんと落ちず、煩悶してしまう。
2回目のインタビューでは「羽生さんは何と戦っているんですか」と問いました。羽生さんはしばらく考えた後に「突き詰めてはいけないと思っています。突き詰めると答えはない。戦うものがあるかというと、自信を持って『ある』とは言えない」──。こちらは困って言葉を継げません。一方で、羽生さんの表情は本当に楽しそうで、目が爛々(らんらん)としている。それ以降、気がつくと羽生さんの言葉の意味を考えていて、電車を乗り過ごし、酒を飲んでも酔わない。でも、羽生さんを考えること自体が面白い。
インタビューを重ねるごとに、羽生さんの言葉をそのまま丸ごと受け入れられるようになってきました。羽生さんの言葉は人が生きていくための本質をとらえているように思えます。羽生さんは本当に自然体の人であり、途中から対話自体に、本書のキーワードでもある「癒やし」を感じていました。
──羽生さん以外の方にも数多くインタビューしています。
羽生さんの言葉や思考には、そのまますんなり解釈できない部分がある。それを解釈するための補助線、あるいは対比として必要だと考えたからです。単純な例でいえば、「闘争心はいらない」「勝つことに意味はない」などとは、ほかの棋士は絶対に思っていない。彼らが羽生さんに負け続け、苦しみ抜いた揚げ句、何か本質を見いだしていく──という姿にたまらなく引かれたという面もあります。
──「勝つことに意味はない」とは。
勝つために、勝とうと思わないということでしょう。これを実際にできている人はまずいないけれど、羽生さんは自分を、そうなりきらせた。芯にあるはずの闘争心が、自分でもわからない境地まで達したということか。そうしなければ、数多い対局や厳しいタイトル戦をこなし、そして勝ち続けることができなかったのでは。
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